ミニマリストの小宇宙

ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

ミニマリストは消費社会のフリーライダーか?

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はじめに

ミニマリストといっても消費の仕方は様々です。特に説明がない場合は、「消費性向の低い都市型ミニマリスト」を想定して書いています。むしろ消費をしている上質派の方や、モノを買わない分ほかのことに使っている方、そして完全に自給自足の方については、この限りではありません。また、やむを得ない事情で消費をしない、できない方については、フリーライダーと呼ぶべきではないと思います。

 

ミニマリストは消費社会のフリーライダーか?

消費社会の恩恵は、消費をしない者にも与えられる。

安定、成長、イノベーション。市場、インフラ、多様性。

お金を使わず生活するマーク・ボイル氏も、著書の中で「消費社会」そのものがなくなれば、この生活は維持できない。という趣旨のことを述べていたように記憶しています。

 

 

 

また、消費をしなければ、全体の収入が減ってしまいます。( → 貯蓄のパラドックス)

 

フリーライダーとは、対価を支払わずにタダ乗りする人。

では、消費社会の対価はいくらか?消費社会を維持・発展するためには、どれぐらい消費をすればいいの?

これは、正直、わかりません。0円でないのはたしかですが。 

 

しかし、ミニマリストといえども消費はしています。働いて、税金も納めています。

消費とは「モノを買う」ことだけではありません。

住むこと、食べること、着ること。電気、水道、公共交通機関。ネットにつなぐのもタダではありません。これも当然消費です。

 

だから、フリーライダーじゃないけど、ローコストライダーです。私の場合は。低消費で、便益を享受してるので。

(ただ、ミニマリストでなくても、基本的には社会への支払いより、受ける便益のほうが圧倒的に大きいです。個人で道路とか作れませんからね)

 

「みんながミニマリストになったら、経済が成り立たない」については、ミニマリストの種類にもよると思います。

全員がマーク・ボイルになるのは無理です。

(たくさん生産した正規品がまったく売れず、みんなが「訳あり品」ばかりを欲しがるという状況に近いと思います)

 

しかし、ある人は上質な暮らしをする、ある人は旅や文化を楽しむ、ある人はモノを使い捨てる、ある人は外注サービスを利用する、・・・こう書いてみると、「それって普通の社会じゃない?」という気がしてきます。いろんな人がいる。 

 

とはいえ、消費の総量が減る以上、これまでの大量消費社会とまったく同じというわけにはいかないと思います。

(経済が目指すのは富の拡大と再分配。消費量が減れば、富の拡大は難しくなる)

 

まず、選択肢が減る。あえて選ばない・買わないのと、そもそも売っていないから買えないのとでは意味が全然違います。

価格が上がる。これも、おそらく必然。

 

やはりミニマリストはマイノリティだからこそ豊かさを享受できる。

ミニマリストは、社会の大半を占める普通の消費者がまわした経済の余剰分、上澄みのいいとこどりで生きているのだと言われれば、全面否定はできないと思います。みんながそうだとは言いませんが。

 

ミニマリストの方が多数派になって、母体となる経済が豊かでなくなれば、余剰のうまみはなくなってしまいます。

また、低消費でない上質派ミニマリストも、ミニマリストが少数だからこそ、自尊心を満たすライフスタイル足りえるのではないかと、思うのです。

ミニマリストが流行りすぎて、ミニマリスト(笑)とか、流行語大賞とかになったら、「ミニマリストです」って言うの、ちょっと恥ずかしくないですか?

 

ミニマリストはフリーライダーにはなれない

さて、正直、フリーライダーかどうかという議論は、言葉を弄ぶだけなら、どっちにも寄せられるんです。

いいとこどりのフリーライダーだということもできるし、ミニマリストも消費をしてるんだから、フリーライダーじゃない。ということもできます。

しかしそれはちょっと違うと思うのです。

 

正確には、フリーライダーにはなれない。無関係ではいられないのです。 

 

豊かな経済のおかげで、電車や地下鉄が整備され、安く利用することができます。

しかし、それを利用することは消費なんです。

 

ミニマリストは完全なフリーライダーではない。ミニマリストも消費をしているから。

しかしこれにはもうひとつの面があります。ミニマリストも「消費をしなければこの社会で生きていけないから」ともいえるのです。

 

ミニマリストは、消費社会の外にいるわけじゃない。消費社会がちゃんと成立して、そこに多少なりとも参加することでミニマリスト生活ができているのです。 

このことを忘れて、ミニマリズム礼賛すると、「ミニマリストとしてしか生きられない」社会になってしまうかもしれません。品物も選択肢も少なく、みんな同じようなものを、必要なだけ。まるで共産主義社会のようですね。

 

「少ないことが豊か」じゃなくて、「自分の好きな生き方ができることが豊か」なんです。

ミニマリストという生き方そのものではなくて、「ミニマリストという生き方を選べること」。

 

私は、「社会には、あらゆるモノが豊かにあって欲しい。そういう社会で、自分は持たないで身軽でいたい。」と考えています。だから、労働も消費もするけど、気持ちとしては、フリーライダーと言えなくもないかな・・・ 

 

結局どっちなんだよって感じですね。逃げ口上ではありますが、ローコストライダーというのが妥当かもしれません。

(どこまでがローコストなのか、という議論になると、最初に戻ってしまうんですが)

 

そもそも「消費社会」に限界があるのでは?

ところで、上記はあくまでも「消費社会」を前提としています。

消費社会の是非はまた別の話。大量消費社会である日本やアメリカの経済は、ちゃんとまわっているのでしょうか?

大量生産&大量消費してても景気悪いわ借金あるわ貿易赤字だわで、けっこう大変そうですよね。なんなら、貿易赤字って、消費のしすぎだと言えなくもないですよね。

 

今後少子化・高齢化が進めば、内需は確実に減ります。国民がみんなミニマリストに近い暮らしをしている国というのもあると思います。そういう国の経済を見たら、もしかしたら、なにかヒントがあるかもしれませんね。

(だからといって、今さら文明を手放すのは嫌ですが)

  

さいごに

最後にひとつ、誰でもできる「経済をまわす方法」を。

 

「景気がよくなると思うこと」です。

 

景気が良くなると予想し、みんながそのように行動する。そうすると、本当に景気が良くなる。(まあ、結局、消費や投資をするってことなんですが)

これならできる・・・かも?