ミニマリストの小宇宙

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minimalist's microcosm

サマセット・モーム「月と六ペンス」より

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前回も少し引用しましたが、最近読んだサマセット・モームの「月と六ペンス」に、気になる文言が多くあったので紹介します。

内容も面白いのですが、随所に金言が散りばめられているのが見逃せない。 

 

作家の喜びは、書くという行為そのものにあり、書くことで心の重荷をおろすことにある。ほかには、なにも期待してはいけない。称賛も批判も、成功も不成功も、気にしてはならない。

わたしはあくまでも自分の楽しみのために物語を書く。ほかの目的を持って小説を書こうとする者がいれば、それは大ばか者だ。

 

モームに言わせれば私は大ばか者である。小説でなくブログだが。

 

「どうして、すてきな女性っていうのはつまらない男と結婚するんでしょうね」

「賢い男がすてきな女と結婚しないからでしょ」

 

秀逸。この時代は、すてきな女性も結婚しないで生きることは難しかっただろう。(今もか?)

 

おそらく、わたしたちは無意識に他人に対して影響力を持ちたいと思い、相手が自分の意見をどれくらい重要に思っているか気にする。

他人のことなど気にしないといくらうそぶいても、たいていの人間は本心からそう思ってはいない。彼らが好き勝手に振る舞うのは、自分の奇行はだれにも知られていないと安心しているからだ。また多数派に背を向けるのは仲間に支持されているからにすぎない。どれだけ世間の型からはずれても、内輪の型にはまっていれば安心できるし、そのぶん大きな自尊心を得られる。危険を冒すことなく、自分は勇敢なのだと自己満足に浸ることができる。だが、世間に認められたいという欲望は、おそらく、文明人にもっとも深く根差した本能だ。

 

ここまで的確に言い当てられるといっそ清々しい。

 

エイブラハムは本当に人生を棒に振ったのだろうか。彼は本当にしたいことをしたのだ。住み心地のいい所で暮らし、心の平静を得た。それが人生を棒に振ることだろうか。成功とは、立派な外科医になって年に一万ポンド稼ぎ、美しい女と結婚することだろうか。成功の意味はひとつではない。人生になにを求めるか、社会になにを求めるか、個人としてなにを求めるかで変わってくる。

 

1919年、つまり100年近く前の小説である。100年前と言ってることは変わらないのに、まだうまく生きられないのはどうしてだろう。

 

手紙には "妻は立派な女だ” と書かれていたと反論したのだ。

 (中略)

引用した箇所はこうだったことが判明した。「おれの妻はくそったれだ。まったく立派な女だ。地獄に落ちればいい」。

だれかが聖書を引用すると決まってこういった。悪魔だって自分に都合のいい一節を引用できる、と。

 

これは本当にそうだと思う。相手の言葉を悪意をもって恣意的な引用をすることはいくらでも可能だ。

だから常に両者の言葉を全文読みましょう、というのが私のささやかな主張である。

 

同じ本を読んでも、どこに何を感じるかはそれぞれ違います。

この記事を読んでからこの小説を読む人はおそらく、「思ってたのと違う」と感じる可能性が高いです。

これも私の恣意的な引用によるものです。(枝葉の部分にばかり触れているので)

 

一冊の本の中でどこに注目するのか? どの言葉が心に引っかかるのか? ということは、たぶんそれぞれ違います。

「どこを引用するか」はそれだけで自分の今の気分や価値観がかなり介入してくると思います。

(だから、引用ばかりの記事には自分の考えがない、とは思いません)

 

もちろん小説としても面白いです。気になった方はぜひ。