ミニマリストの小宇宙

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ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

フリー世界と「ゼロ円ファン」

 

無料=悪、ではありませんが、少なからず弊害があります。

 

ジャズミュージシャン・菊地成孔氏の公式ウェブサイト(第三インターネット)より

ゼロ円ファン層の発生 (?〜現在)ちゅう、非常に面白い事が起こり始めまして(笑)、「ゼロ円ファン」というのは、言うまでもなくワタシの造語で、アーティストのブログと動画サイトのみで、熱烈なファン活動を続けられる人々の事です。

  (中略)

でもねえ、ダメなんですよ。スタッフとメンバーが雇えなく成っちゃうんですよね。それに、ワタシが演奏で儲けてるんじゃなくて「あいつは優雅だからなあ。バイトやって好きな音楽やってらあ」じゃ、日本ジャズ界という、ちっちゃい方舟が沈没なんですよね。それも困った話なんです よ。これこそがワタシにとっての、リアルエコロジーなんですよ。自分が棲む世界が豊かでないと死んでしまいますから。生き物は。

 

なんで、そのためにはどんなサポートも辞さないぞとやっている宣伝活動してる訳じゃないですか。そうするとそれが自立して、買い手の欲望を満たされてしまう。という逆走現象が怒る訳です。

 

現代人にとってのアポリアですよねコレ。ワタシ自身が、特定の誰かの熱烈ゼロ円ファンだっていうのは、さすがに無いですけど、動画サイトは常に見てますし、気になった人のブログも、たまーに読んだりするんで、理解出来ない訳でも無いんですから。

http://www.kikuchinaruyoshi.net/2012/10/16/%E5%BD%93%E6%AC%84%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%9B%9E-%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%83%BC%E8%8F%8A%E5%9C%B0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%94%E6%A1%88%E5%86%85/

 

菊地氏はライブ宣伝のためにブログを書いているのですが、その文章があまりに面白いので、ブログだけ読んで満足してしまうファンが続出。という現象が起きています。ライブには行かず、動画を見ることで満足してしまう。氏が訴えるのは「ライブに来て、演奏をきいてください」ということ。「ミュージシャンの音楽を聞かず文章だけ読んで批評する人」について、菊地氏は「カレー屋でカレーを食べずにご飯だけ食べて、あそこのカレー屋はうまい/不味い。 と言う様なもの」と発言しています。

 

上記はちょっと古いので、最近の菊地氏の発言。

以下のプロダクツをまだご存じない方は買って下さい。どれもハンパじゃないクオリティだと思うんですが、ブログばっか読まれて、それで認知/評価されるという地獄のような世に生まれついた事を、ワタシが呪わなくても良いように

何度も申し上げているのでもう言うのも飽き飽きなのですが、ネットの中のただ見、ただ読みできる、ネットの世界の中の住人としてのワタシは、第一には試供品に過ぎませんし、第二に過去の人ですし、第三に、どんなものも、PCや携帯で二次的に読み直す物は(元々、PCや携帯に向けて作られた物は別)芯が抜けているので、結局どんなもんでも二次元平板還元されたものっちゅうのには最後にはイライラさせられるだけなので、ライブに来ない限り、ワタシの事はビタ一文何も解りません。

 

なかなか難しい問題です。ソニーのミュージックアンリミテッド(月980円で音楽が聴き放題)も、Youtubeがデフォルトの社会では全く機能しなかった。(もうサービスは終了したようです)タダで聴けるのに、980円払いませんよね。しかもこれ、CDやダウンロードと違って、「払い続けなければ聞けない」仕組みですからなおさらです。

(と思っていましたが、最近は定額制音楽配信サービスが盛り上がってきてますね。これについてはこちらで触れています。)

 

あらゆることが無料化されてしまう。無料であることが当然になってしまう。一度無料にしてしまえば、再び有料に戻すことは難しい。ネットの開かれた世界では、高速道路の料金のようにはいきません。

Youtubeで見て、ファンになって、CDを買う。という人もいると思います。しかし実際は、Youtubeで見て、ファンになって、Youtubeを見る。という行動をとる人の方が多いのではないでしょうか? 宣伝のためのメディアが代替物として消費され、消費者の欲求を満たしてしまうのです。もちろん、ファンが増えたり、知名度が上がるという大きなメリットはあるのですが。

ブログを発信すれば、文章が無料化されてしまう。菊地氏の場合、本の宣伝をすると、それ自体がコンテンツとして成立してしまうのです。宣伝を書けば書くほど、本を買わないファンを満足させてしまう。

本、 音楽、映画、そしてネット上の文章、動画、写真・・・こういったものの消費量、売上とは別に「どれぐらいの人が無料でそれを楽しんだ(あるいは、つまらないと感じながら経験した)か?」ということが数量化できないものだろうか? 図書館やTSUTAYAやYoutubeも含めて。その消費量によって作者に対価が支払われる。とか。ものすごい机上空論感。でも、それが可能だとして、それこそ炎上商法が得するようになってしまいますね。やっぱり、この問題は、難しい。

 

菊地氏はこのようなものを発売しています。

 (上下巻合わせて) ◆音楽140トラック ◆映像150分 ◆スチール100枚 ◆テキスト5万文字 ◆ 1アーティストの10年間に渡る活動をメモリースティックに入ったデータ(音声/動画/静止画/セルフライナーノート)として製品化する試みは世界初。

 「USBメモリに楽曲、動画、写真、テキストを収めた」全集。データのみ、というシンプルさ。(データ量はマキシマムですが)

この、世界初の全集の発売にあたり問題となったのは、「価格をいくらに設定すればいいのか?」ということ。

CDの値段というのはカルテルでも行ったように、相場が決まっていますよね。需要も質も関係ない。人気のアーティストも無名の新人も、みんな一律。(中古になると、市場原理が働くのですが)

こちらはUSBメモリという物質もあるし、宣伝や流通のコストもかかるわけですが、前例がない、「相場が決まっていない」ことにより、純粋に、「データの価値はいくらなのか?」ということに焦点があたったように思います。

価格は上下巻がそれぞれ1万円。菊地氏は、「高いのか安いのか自分でもさっぱり分かりません」とコメントしています。

作品の価格はだれが決めるべきか? (いちばんはアーティスト本人かもしれませんが、真性のアーティストはそんなことには無頓着かもしれませんね。)

市場に任せると、これが「無料」になっちゃうんですよ。Youtubeがあるから。だから1000円のCDが売れないのは当然ですよね。市場の価格と乖離している。(筆者は、楽曲が0円でいいとはもちろん思っていない。) 楽曲のダウンロードも一般的になったし、もはやCDは楽曲というデータではなく、モノとしてのCD、特典や付加価値で売られている。

 

さらに、氏はこんな本まで出している。AKBよりはるか以前に。

(余談になりますが、AKBの選挙を見て、アイドルファンドを思い出しました。最近はアイドルファンドのような証券化ではなくて、クラウドファンディングのほうが主流みたいですね。うまい使い方だと思います。)

 

誰もが文学や音楽に触れる権利がある。文化は金持ちだけが享受できる、みたいなのは、どう考えてもよろしくないだろう。 

しかし、誰もが無料で享受できるとなれば、文化の担い手はどう生計を立てるのか。我々は対価を支払うべきだ。しかし適正価格は、どう定めるべきだろう? 

この問題が放置されている理由としては、「そうは言ってもみんなこの状況を楽しんでしまっているから」というのが無視できないと思います。今さら規制されたくない。このような記事を書いているわたし自身も、Youtubeをたまに見ますし、Podcastを聞いていますし、あらゆるブロガーの皆さまのゼロ円ファンなのです。アーティスト本人でさえ、他の人の動画やブログを見ているという現状。問題だと言いつつ、このフリー世界を奪われるのは困る。(Youtubeはあまり見ないのですが。その動画の時間が表示されてますよね。3分20秒とか、1時間15分とか。あれを見ると、「それだけの時間が持っていかれる」と思ってしまいます)

もともと無料の文化を楽しむことは、何も問題ない。TVだってそうだ。(もちろんTVも無料なわけではなくて、我々の代わりにお金を出しているところがあるんですが。だからこそ我々は無料で楽しめるのです。CMを見ながら。) 

問題は、「対価を支払われるべき文化まで無料化してしまう」ことだ。現代を生きるアーティストは、青空文庫の著者とは違う。その活動で食べていけなければ、次の作品は生まれない。

私は、本はなるべく買って読むようにしている。ひいきの作家であればなおさら。音楽についてもそうだ。

このことは、無形の文化に限らない。服が好きなら、服を買えばいい。それがあなたの愛するファッション業界を支えることになる。消費は投票だ。無料のものばかり消費していると、あなたの声は届かない。

お金を払いたいと思えるようなモノやサービス、作品には、積極的にお金を使うようにしたいものです。

 

真面目に書いたわりにまとまってないですが、それだけ難しい、ということでご容赦ください。

私は、自分のゼロ円ファンは大歓迎です。

 

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