ミニマリストの小宇宙

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minimalist's microcosm

「所有税」を考えると自分にとってちょうどいい適量がわかる

 

モノを持ちすぎると不自由になる。でも、どれぐらいの量がいいの?

 

誰かが、服は何枚とか、食器はいくつとか、本はここに入るだけとか、これは要るとか要らないとか言ったとしても、そのまま真似して上手くいくわけではありませんよね。参考にとどめるのが良いと思います。それは他人の基準です。

 

ここで提案する方法は、ひとつの仮定を考えるだけなのですが、個人の価値観がかなり反映されると思います。靴は何足、グラスはいくつ、など個別に基準を与える必要もありませんし、ライフスタイルが変わってもずっと使えます。  

 

「モノを持っていると、所有税を納めなければいけない」

という世界を考えてみましょう。 

 

「所有税」のある世界

不動産や自動車のような税が、すべての持ちものに課税されるという仮定です。モノの価値や金額は関係なく、量や数に対して課税するものとします。  

 

すると、お金があればたくさん買う、安くなればたくさん買う、迷ったら両方買う、流行っているから、おしゃれだから、便利そうだから、まわりの人も持っているから、なんとなく買う、とりあえず、買ってから考える・・・そういう買い方はしなくなるはずです。

 

今は使っていないけど10年後、20年後に使うかもしれないものについても有効です。子どもが大きくなったら譲りたいと思っているとても大切なものであれば、多少コストがかかっても持つかもしれないし、もしかしたら将来子どもが使うかも、程度のものは手放そうと思うかもしれません。 

 

もういらないけど、処分が面倒でずっと放置しているものについても、「所有税かかりますよ」といわれたら、行動できそうですね。 

 

「所有税」の正体は・・・

もちろん実際にはすべてのモノにかかる「所有税」は存在しません。

しかし、「所有税」を、「モノを持つことのコスト」と言い換えたらどうでしょうか?

 

モノを持つことのコストは、モノを置く住居や倉庫、収納用品、メンテナンスなど直接の費用だけでなく、労働や余暇に充てることができた時間やモノの管理に追われるストレスなど、あげればキリがないですが、これらははっきりと目に見えるわけではないのであまり意識されません。

 

「所有税」は、見えないコストを意識しやすくするための仮定。「所有税」を仮定することで、「外部不経済の内部化」を考える、という方法なのです。

 

「所有税を払っても持つ量」というのはその人にとっての「適量」にかなり近いのではないかと思います。持つことの喜びや利便性が所有のコストを上回るなら、無理に手放す必要はありません。反対に、この仮定を考えることで大量に手放せる、というタイプの人もいるかと思います。

 

「適量」は、「必要最小限」とは少し違います。(もちろん、「必要最小限」の量が「適量」だという人もいると思います。)

 

モノを減らしたいけど、自分にとっての適量がわからない。という方は、もしも「所有税」がかかるとしたら、どれぐらいの量を持つだろうか? と考えてみるのはいかがでしょうか。