minimalist's microcosm

ミニマリストの小宇宙

みかんの皮とふきのとう

 

 

 

幼い頃、はじめて憧れた「大人」は、みかんの皮をきれいに剥いた。

 

私のは皮がつながらずボロボロと細かくちぎれた。

どんなにがんばっても、その人のようにひとつなぎに剥くことができない。

 

大人になったら、できるようになるのだろう。

 

当時の私にとって、大人になるということは、「みかんの皮がひとつなぎに剥ける」ことだった。

 

数日もすると、私はあっけなく「大人」になってしまった。

一度コツを掴んだら、簡単に剥けるようになった。

大人じゃないな。こんなのは、大人じゃない。

 

 

小学生の頃、大人になるということは、「ふきのとうを美味しいと思うようになる」ことだった。

春になると、ふきのとうの天ぷらが食卓に出ることがあった。

私は苦くて食べられなかったが、父や祖母には美味しいようだった。

 

大人になったら、きっと美味しいのだろう。

 

 

成人式も遠い昔のことのように思う今、

みかんはきれいに剥けるし、むずかしい本だって読める。

車の運転もできるし、自分の名刺もある。

会社に行って、働いて、お給料をもらって、

税金も払って、選挙にだって行く。

喪服だってちゃんと持っている。

だけどふきのとうは苦い。

 

大人になることもきっと苦いのだ。

 

今年はふきのとうを美味しく食べられるだろうか。

 

そんなことを思う間に、また季節が過ぎていく。あっという間に夏が来る。

時の流れが早くなったのは、きっと大人になったからなのだろう。