捨てて後悔したものは何もない。捨てるつもりで捨てたものについていえばそうだ。
しかし「うっかり」捨ててしまった場合は別である。
これから公開するブログ記事を消してしまった。それも3つである。まったくどうかしている。
あの瞬間のわたしに関して言えば、時間を10秒前に戻してくれるなら、いくら積んだか知れない。わたしの文章にそれほどの価値があるはずもないのだが。
失ったものは美しく見える。きっとそうだ。もし何かの拍子に復元されでもしたら、あまりの内容のなさにがっかりするに違いない。たいしたことなど書いていない。そうに違いない。
そうは言っても執着捨てがたく、未練がましくも再現を試みる。幸いにも、最初のひとことは覚えている。「冷蔵庫の中身を使い切りたい」である。
ああそうだった、こういうことを書いた、という部分もあれば、こんな表現ではなかったはずだが、という部分もあれば、すっかり忘れてしまっている部分もある。
どちらにしても、なんとか再現したそれはたいした内容の文章ではなかった。
こんなものがあれほど惜しかったのか。やはり一度失ったものというのは美しく見えるようだ。あんなに傑作だと思っていたのに、そのクオリティといったら、むしろ公開するのがはばかられるくらいなのである。まったく情けない。過去に書いたものへの未練など、まっさきに捨てるべきであった。
「捨てなきゃ良かったなあ」というモノも、いざ取り戻してみたら、案外たいしたことないのかもしれない。
思い出は美化されているものです。