ミニマリストの小宇宙

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minimalist's microcosm

換気扇の中の鳥

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部屋の中に何かいる。

 

その日は朝から騒がしかった。

強い風に建物が揺さぶられるような振動。

激しい羽音。

 

考えたくはなかったが、そうとしか思えなかった。

ロフトは死角になっているから、そこに鳥か何かが飛んでいるのだろうか?

窓は閉めていたから、どうやって入ったのかはわからないが、とにかく何か入ってきてしまったのだ。

 

にわかに緊張する。

どうか襲ってきませんように。おとなしく出て行ってくれますように。

せめて、可愛らしいサイズのものでありますように。

 

恐る恐るロフトを覗く。

が、何も見当たらない。荒れた様子もない。

 

目にとまったのは、床から5mぐらいの位置にある換気扇。

 

換気扇を凝視すると、激しい羽音と共に、一瞬、細い横縞から茶色い羽が覗いた。

 

ぎょっとする。

換気扇の中に鳥がいる。

生きた鳥が。

 

怖い。

 

どう考えたって換気扇の中から出られなくなった鳥のほうが怖いに決まっているのだが、怖いものは仕方がない。

 

もう一度換気扇を回せば出て行けるだろうか?

いや、絶対にダメだ。

肉塊と血と羽。想像するのも恐ろしいようなことが起こるに違いない。換気扇を回すのは絶対ダメ。

 

だけどこのまま何もしないで、中で鳥が死んでしまったらどうしよう。

換気扇のなかで朽ちていく鳥。死骸。腐臭。

これもダメだ。耐えられない。そんな部屋では眠れない。 

 

高所の換気扇にわたしは為す術もない。

いや、目の前にあったとしても、どうしていいかわからず狼狽するばかりだろう。

 

父を起こす。

 

父はすこぶる機嫌が悪い。

朝早くに起こされた上このような面倒を押し付けられるのだから堪ったものではないだろう。

そうでなくとも、父は年中機嫌が悪いのだ。

しかしわたしは鳥を何とかしなければもう部屋にいることすら怖いのである。

とにかく何とかしてもらわなければ。

 

父は大儀そうに、ビニール袋と、一体本来は何に使うものであるのか分からないような分厚い手袋を持って来た。

 

ロフトの換気扇を覗く父に、吹き抜け側の換気扇を指すと、不機嫌な表情がさらに曇る。

こちらの換気扇には、父でも手が届かない。

 

父が梯子を梁に掛け、なんとか換気扇を開けることに成功したものの、鳥は捕獲できずに逃がしてしまった。

飛び出してきた鳥はパニックからかすごい勢いで飛び回り、どこかにぶつかって落ちた。

 

 

 

5m以上の高さから落ちてきたのは小さな雀だった。

 

建物を揺さぶるほどの音がしていたから、もっと大きな鳥だと思っていた。

落ちた雀は足をまっすぐに伸ばして横たわり、ぴくりとも動かなかった。

 

そのあとは父がなんとかした、と思う。

 

わたしは雀について聞かなかった。

 

 

 

しばらくして庭に出ると、父がいた。

立ったまま、庭の木の下のあたりを見ていた。 

 

ちょうどそのときだった。

 

「生きとったぞ」

 

父が笑った。 

 

どうやら父は動かなくなった雀を木の下に寝かせていたらしい。

意識を取り戻した雀は、そんなに焦らなくてもと言いたくなるほど慌ただしく飛んでいった。

 

父はめったに笑わない。

父との会話はほとんどない。わたしが「おはよう」と言っても何も言わないし、機嫌がよければ「ああ」と言うだけだ。TVなど見ていて、父が笑ったのをわたしが見ていたときには、決まってバツの悪そうな顔をする。きっと、「父親は威厳がなければいけない」とか思っているのだろうと思う。わたしの方も、タブレットでゲームをする父の姿になんとも言えない気持ちになっていたりするのだから、父親には威厳を求めているのかもしれない。もともと父は、新しく携帯電話を買えば一日中触っていたし、新しく車を買えばやたらにドライブに出かけた。今はタブレットがそれにあたるだけで、別に変わってしまったわけではないのだ。マッキントッシュだって父にとっては最新のおもちゃだったのだろう。しかし父は、新しいおもちゃで遊んでいるときでさえ、決して楽しそうな素振りは見せなかった。子供の手前、だからかどうかは分からないが、思い出す限り、父はいつだって難しそうな顔をしていた。

 

その父が笑った。

バツの悪そうな素振りもなく、

心からの安堵に思わずほころんだというように。

 

この時までわたしは怖がるばかりで雀の心配などしていなかった。

どこまでも身勝手な自分を少し恥じ、同時に安堵した。

 

わたしも笑った。

こんなことは初めてかもしれなかった。

 

よかった。

 

しかし次の瞬間にはなぜだか少し悲しくなった。

たぶん、いつか父を思うときには、この出来事を思い出すような気がしたからだと思う。