ミニマリストの小宇宙

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minimalist's microcosm

「シンプル」とは――今いちばんしっくりきた2つの言葉

 

「シンプル」がブームになってずいぶん経ちますが、世間にあふれる「シンプル」にはどこか違和感がありました。とはいえ、シンプルという言葉にはやはり目がいきます。

一時期のように熱心にチェックすることはありませんが、今でもときどき「シンプル」をうたった本や雑誌を手にとることがあります。

たいていの場合、とくに目新しいこともないので、こういうのが一番時間の無駄だとは思うのですが。

しかしつい最近手にとった雑誌の中に、非常にしっくりくる言葉を見つけました。

(こういうことがあるから完全にやめることができないのです) 

 

冒険家・八幡暁氏の言葉

「あなたにとって”シンプル”とは?」という質問に対する冒険家・八幡暁氏の回答。

手足の先にある実感。

 

わたしが生活をシンプルにしたいのは、「面倒なことはやりたくないから」ではなくて、「手に追える範囲のことをちゃんとやりたいから」でした。

面倒になるほどの雑務があるなら、そこは見直す必要がある。

このブログでも「面倒なことはやりたくない」と言っていましたが、その言葉にはいつもどこか違和感がありました。

たしかに面倒なことはやりたくないのだけれど、その一方で、面倒なことをわざわざやりたがるようなところもあったからです。

わたしの解釈は八幡氏の本意とは違うかもしれませんが、「手足の先にある実感」というのはとてもしっくりくる表現でした。

 

今にして思えば、EVERNOTEに馴染めなかったのもそういうことなのかもしれません。

自分がよくわからないものに対しては、実感を感じられない。

掃除なども外注サービスを利用すれば道具は要らないかもしれませんが、自分でやりたいのです。自分の身の回りのことは自分でやりたい。

 

以前は「バッグひとつでホテル暮らし」に憧れましたが、今はそこまででもありません。

やってみたい気持ちはありますが、ずっとそういう生活をするということは望みではなくなりました。

暮らしは小さくていい。地に足つけて生活したい。 

 

哲学者・國分功一郎氏の言葉

もうひとつ取り上げたいのは、哲学者・國分功一郎氏の文章です。

物質的なものから解放されるという意味では、少し前に話題になった「断捨離」がぱっと見では有効に感じられるかもしれません。

モノを捨てて解放されることはある種の快楽ですが、その快楽を感じられるのはほんの一瞬。その先に広がっている、ずっと続いていく生活をどうやって良いものにしていくかという点では、捨てるだけでは足りません。

所有するモノの数が少なくなるということは、あえて悪い言い方をすれば貧困化するということです。問題の本質は、モノの多寡ではなく、心のありようにあるのではないでしょうか。

 

これはすごくわかります。

わたしは「モノを捨てれば~」とか「減らせば~」とかの文言には賛同できません。

そういうことじゃないだろう、と。

 

シンプルに生きるということを哲学的に突き詰めるなら、それは孤独でいられるかどうか、ということです。

ハンナ・アーレントという哲学者が「孤独と寂しさは違う」と言っています。英語では”ソリチュード”と”ロンリネス”。ロンリネスとは寂しさを感じている状態で、ソリチュードとは自分一人でいること。その違いは、一人でいることに寂しさを感じて誰かを求めてしまうかどうか、という点です。

 

「孤独」とは「ひとりでいること」。その状態を、「寂しい」と感じる人もいるし、そうでない人もいる。

 

きっと、ほとんどの人は孤独に耐え切れなくて寂しさを感じてしまうでしょう。孤独な時間を大切にしていられることは時間をかけて培っていく一つの生活スタイルですが、それを培うための時間が現代では失われてしまっているのです。

孤独でいたとしても、自分と対話ができて、自分自身と一緒にいることができれば、寂しさを感じることはないでしょう。ヒマな時間の中でも退屈しないでいられるでしょう。あなたにあれこれと煩わしい問題を投げかけてくる人とは切断されています。この状態こそがシンプルと呼べないでしょうか。

それができるようになれば、自分の身の回りのシンプルということも自然と決まってくるのではないでしょうか。どういう人とつきあうのか、どういう仕事をするのか、どういうものを持つのか。すべてそこから自動的に決まっていくはずです。孤独な生活を享受できるようになれば、自分自身にとって一番心地よい状態は自然に生み出されていくはずです。

 

どういうものを持つのかは自動的に決まっていく。

自分自身にとって一番心地よい状態は自然に生み出されていく。

ここにとても納得しました。 

持ち物が少なければシンプルだとか、電子化すればスッキリするとか、マルチに使えるアイテムを駆使すればモノが減らせるとか、あれもこれももスマホで代用できるから要らないとか、そういう単純な話ではなくて、

1個買ったら2個捨てるとか、ローリングストックとか、ここに入るだけとか、制服化とか定番化とか、ルールや仕組みの話でもなくて、

色を絞ればスッキリ見えるとか、骨格診断とかパーソナルカラーとか、少ない服で着回すにはどうすれば良いかとか、テクニカルな話でもなくて、

キッチンには最低限何が必要で、靴は何足で、たまにしか使わないものはレンタルとか、ワンシーズンで使い捨てとか、一生モノを吟味して選ぶとか、そういうことじゃなくて。 

 

自分の状態がシンプルになれば、孤独を享受できるようになれば、まわりのものは自分に心地良いように決まっていく。 

 

どういうものを持つのか、というのは、

あれこれ調べたり、考えたり、悩んだりすることではなくて、

ルールを決めてシステマティックに構築していくことでもなくて、

まして誰かの本やブログを見たまま真似することでもなくて、

「自分に心地良いように自然に決まっていく」もの。

 

「シンプルな暮らし」というのは、

「すべてシステム化しているから考える必要がない」ということではなくて、

「心地よい状態は自然に決まっていくから、あれこれ調べたり悩んだりする必要がない」ということ。

 

試行錯誤するのが悪いとは思いません。

そうじゃなくて、本やブログで他の人がどうしているかを見たり、そこで得た情報を参考にモノを捨てたり買ったりいろんなことを試してみたりするということは、「順番が逆」なんです。

自分の心や環境をシンプルにしようと思えば、まずやるべきことは、情報収集ではありませんよね。

 

國分氏によれば、シンプルでいるためには、まずは孤独になることです。

しかし社会の中で生きている以上、孤独になるのは簡単なことではありません。

 

目の前のタスクが終われば、時間を得れば、自然に孤独な時間がもたらされる、そう思っていたらいつまでも孤独はやってきません。

孤独を得るためには故意に切断をする必要があります。

 

孤独な時間は待っていれば自然に訪れるものではなく、意図的に作り出す必要があります。

 

孤独な時間を見つけたら、それはとても贅沢なものであると認識して大切にしたほうがいいですね。

携帯電話をしまい、物思いにふける時間が、あなたなりの孤独を教えてくれるかもしれません。

 

物理的にはひとりでいても、SNSなどでいつもつながっていては、孤独になる暇がありません。

 

一生だれとも関わらずに生きていくことは不可能ですが、ひとりだけで過ごす時間は必要。

わたしの場合、ひとりで過ごす時間の優先順位はとても高いです。

 

 シンプルは孤独という贅沢から得られる。

 

この手の特集としてはよくある感じでしたが、上で引用したお二人の言葉は非常に良かったです。