ミニマリストの小宇宙

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ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

歩いたり座ったり靴を盗まれたりのバンコク4日間

人間というのは面倒だ。ずっと歩きっぱなし、立ちっぱなし、というのも疲れるが、ずっと座っているというのも疲れる。寝るのだって、度が過ぎれば疲労をもたらす。空港の長い通路を歩き、手続きに並び、飛行機の座席に座り、眠り、食事をとり、また眠る。旅行へ行くというのに「人間は面倒だし生きるのは大変だ」などということに思いを巡らしていたのはおそらく疲労のせいなのであろう。世界はつながっていて、その気になればどこへだって行ける時代だ。しかし人間に対しての世界の大きさは変わらないし、実際の距離が縮まったわけでもない。外国へ行くというのはまだまだそれなりに大変なことだと思う。電車に乗るように気軽に移動できるわけではないのだ。

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わたしは旅行が好きかと聞かれたら一瞬悩んでしまうと思う。しかし移動は好きだ。特に飛行機や高速バスで座席に座って運ばれる移動は良い。普段は思いつかないような部分に思考が伸びていく。肉体は疲れるが、移動することは脳には良い刺激なのだろう。旅先を歩くことも好きだ。目的地への移動手段としてではなく、適当に歩きまわるというのが良い。目的地があるときは思考は解放されない。「運ばれる」移動が思考を自由にするのは、目的地を意識しなくて良いからだと思う。運ばれる場合でも電車の場合は駅や乗り継ぎを気にするから、飛行機や高速バスの方がいろいろなことを考える。

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旅行先はタイのバンコクである。今回の旅行で意識したことは、写真をあまり撮らないようにする、ということだ。ひとたび写真撮影に興じると、写真を撮ることが最優先になってしまい、碌に見てもいないのにフレームに収めることで満足してしまう。わたしは写真家ではないし、写真を撮りに旅行に行くわけでもない。あとで見返すための写真など撮るよりも、自分の目で見ることだ。すべてを残そうと欲張ってはいけない。とはいえ、控えめにしたつもりでもそこそこの枚数を撮っていた。

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アユタヤに向かう電車は定刻より20分ほど遅れてきたが、これは早い方らしい。冷房の効いた車内でうとうとしていたのだが、途中暑くて目が覚めた。乗務員がハッチを開けてなにやら作業をしている。しばらく作業を続けた後、ハッチを閉めて天井の扇風機を回す。冷房が壊れたらしい。おそらくだが、これもよくあることなのだろう。旅先で次々ハプニングに襲われるようなドラマチックな人生ではない。

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アユタヤでは自転車で遺跡を回った。知らない土地で自転車に乗ることには心地良い緊張感があり、歩くのとは反対で無心になれる。こう言っては何だが遺跡はどれも似ているので、タクシーなどで巡ってはすぐに飽きてしまうだろう。自転車で回るというのが楽しいのだ。管理された遺跡よりも、地元の人が生活している路地や商店を眺めることが楽しい。遺跡よりもこっちの写真が撮りたかったのだが、自転車に乗りながら撮影するテクニックは残念ながら持ち合わせていないし、一般の人の私生活にカメラを向けるというのはやはり遠慮すべきだろう。自分が撮られたら不愉快どころの話ではない。

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車がギリギリ一台通れるくらいの小路は、どこか沖縄を思わせる雰囲気。

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昼食はアユタヤのレストランで。 池には鯉が泳ぐ。

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夜の歓楽街。

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寝仏像で有名なワット・ポーを訪れる。 ここにはタイ古式マッサージの総本山があるらしい。海外でマッサージを受けるとなるとトラブルが心配だが、ここは有名だからあやしげなところへ行くよりは安心だろう。30分のコースをお願いする。ワット・ポーのマッサージは大部屋で、枕元に貴重品を入れるようになっていた。担当してくれたマッサージ師は女性で、ときどき「よこむき」とか「うつぶせ」とか日本語で指示がある。肩のマッサージのときには「かたい」と言われた。

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眠ってしまうほど気持ち良いとも言われるタイ古式マッサージだが、かなり痛いので30分以上は耐えられなかったと思う。しかし施術後は肩や体が軽くなり気持ち良い。機会があればまた受けたいと思う。体も軽くなり、すっきりした気分で帰り支度をする。


・・・靴がない。
ベッドに上がる時に靴を脱いで、靴はスタッフがどこかへ持って行った。いっしょにマッサージを受けた同行者の靴も同じように持って行かれたが、施術が終わるとスタッフの人が再び持って来た。わたしの靴は誰も持ってきてくれない。忘れているのだろうか?
靴がないことを伝えると、いくつかの靴を指してこれか?と聞く。いやいやそれじゃなくて、白いやつなんだけど。どうやら誰かが履いていったらしい。ついて来いと言うので、とりあえず近くにあったビーチサンダルを履いてついて行く。別棟の受付に行き、マッサージ師が責任者らしい人に事情を説明すると、責任者らしき女性は「悪いけど別ので勘弁してくれ」と言う。これもよくあることなのだろうか? 受付を出ると、マッサージ師の女性は探してくると言ってどこかへ行ってしまった。ないものは仕方がないのでもう諦めていたのだが、探してくると言われたので次の場所に向かうわけにもいかずベンチで待つ。

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しばらくしてマッサージ師が帰ってきたが、靴は見つからなかったようである。申し訳無さそうに「ソーリー」と繰り返す彼女。いいよいいよ、大丈夫、これ履いて帰るよ。あなたが悪いわけじゃないし。いや、可能性はなくはないか。

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すっかりタイの洗礼を受けた。授業料と思えばサンダルなどは安いものである。この程度で済んで幸いと言うべきか。寺院では靴を脱いであがる場所が多くあり、靴を袋に入れて持って入るところもあれば、靴箱に入れて入るところもある。靴箱のところはその気になれば盗み放題であろう。このような場所で盗られた場合には代わりの靴などもないだろうし、最悪裸足で帰る羽目になるかもしれない。

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旅先で「歩きやすい靴」を失うことのダメージは大きい。なくなったサンダルは足が痛くならず長時間の歩行にも耐えうるように選んだものだ。わたしはサンダルを持っていなかったので、旅行のために買った。別に高価なものではないのだが、まだ小奇麗なので目をつけられたのかもしれない。代わりに履いてきたビーチサンダルは少し大きく、歩きにくい。ワット・アルンへ向かう途中の露店でサンダルを買う。100バーツ。日本円にすると350円ぐらいである。日本から履いてきたものには劣るが、サイズの合わないサンダルよりはマシだ。これに履き替えて観光を続ける。ワット・アルンは修復中。ここは三島由紀夫の小説『暁の寺』の舞台として有名なのだそう。

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定番スポットの最後はワット・プラケオ。ここは王宮なのだが、何よりも他の観光地と違うのは人の多さである。身動きが取れないほどの人。ほとんどは中国からのツアー客である。彼らのマナーについて詳しく述べることはしないが、人込みで日傘を差すのは遠慮していただきたい。まあこれは日本人にもいえるのだが。

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ワット・プラケオを観光していると、雨が降ってきた。持ってきたレインコートでしのぐ。出口へ向かうと、カラフルなレインコートを着た集団とすれ違う。外へ出てみてわかったが、先ほどまではいなかった、傘やレインコートを売る人々がいた。さすがは観光地の商売人である。レインコートは日本の100円ショップで買ったものだが、持ってくる必要はなかったかもしれない。

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今回の旅行で印象的だったのは、水の美味しさである。もちろんペットボトルの水だ。海外へ来ると、せっかくだからと変わったものに手を出しがちなのだが、今回は水ばかり飲んでいた。コーヒーやジュースも飲んだが、水がいちばん美味しい。タイの水が特別美味しいわけではなく、暑いから美味しく感じるだけなのだろうとは思うが、それにしても水が至福だった。

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放浪の旅と旅行との違いは、帰る場所があるかどうかである。数日振りに帰る部屋のよそよそしさは一瞬で消え、また日常が始まる。海外に行くと、なんだかんだで日本はいい国だなあと思う。タイの水が至福なら、久々に帰った部屋で淹れるコーヒーもまた至福である。旅行がもたらすものは出会いや発見や思い出だけではない。「帰ってくる」というこの感覚だ。旅行から帰ってきたあとの日常は、ほんのわずかだがこれまでとは少しだけ違うのだ。