ミニマリストの小宇宙

ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

どうしようもなく自由だ

 

自宅のパソコンがインターネット接続を失ってから10日以上が過ぎた。わたしの心は穏やかだ。

 

とても充実しているので、パソコンが使えないことの不自由さなど感じる暇もない。ここ数日はとにかく文章を書いている。「モーニングページ」というワークがあるのだが、それを一日中やっている感じだ。わたしの場合朝は書くことが少なくペンが止まりがちで、日中や夜の方がよどみなく言葉が出てくる。朝は本当にからっぽなのだと思う。からっぽの状態から負荷をかけて無理矢理にでも何か書くことが意識に働いてクリエイティブな発想ができるようになるとか、そういうことがあるのかもしれないが、今は書くことが楽しくて書いているので別に負荷をかける必要性は感じない。

 

朝は少しだけ書いて、あとは軽い運動をしたりスマホでブログを読んだり掃除をしたりしている。わたしには、朝は机の前で必死に言葉を絞り出すよりも、体を動かした方が向いているようだ。朝は活発に動き、夜はあまり活動しないで自分の意識に向かっていく感じだ。そうして毎日いろいろなことを考えたり書いたりしている。

 

昨日、わたしは自由である、ということに気が付いた。この感覚はどう説明したら良いだろう。家にいるときも、仕事をしているときも、どこにいても誰といても、わたしの脳はわたしだけのもので、誰にも奪えない。わたしの思想は、考えることは、どんな状況にあってもわたしの自由なのだ。そういえば、ホリエモンこと堀江貴文氏も著書の中でこういうようなことを言っていた。たしか「ゼロ」だったと思う。彼は刑務所経験もあるから、どんなに体の自由を奪われても精神の自由だけは奪えない、ということがきっとよくわかっているのだろう。わたしは本を読んではいたが、今ようやくその感覚がわかった。わたしは自由だ。これの究極が、おそらく「夜と霧」なのだろう。とても比べられるものではないが、でも、そういうことだと思う。