ミニマリストの小宇宙

ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

「参加しない」という姿勢が認められているから、ハロウィーンを容認できる

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

わたしはイベント事で騒いだりすることはあまり好まないが、ハロウィーンに対してはあまり嫌悪感を感じていない。

それどころか、メディアがもたらす情報を少し楽しんでさえいる。

 

ハロウィーン(「ハロウィン」ではなく「ハロウィーン」らしい)は今のところ「有志のイベント」である。

やりたい人だけが参加する祭り。参加しない人を責めたり、蔑んだりする空気はない。

仮装したい人は仮装し、見たい人は見る。

わたしの場合、どうしてもその場所へ行かなければいけないわけではないし、混雑の煽りもたいして受けない。

仮装とも混雑とも無関係でいられるわたしからすると、もはやTVのバラエティーショーと大して変わらない。

安全で快適な自宅の液晶画面から消費するコンテンツ。

 

もちろん、「ハロウィーンだから当然仮装をしなければならない」的な空気になるのであれば話は変わってくる。

ハロウィーンをやるかどうかは今のところ個人の自由だ。

やらないからといって不当な扱いを受けることはない。

これがバレンタインデーだと、贈っても贈らなくても貰っても貰わなくても不当な扱いを受ける可能性がある。

「わたしはバレンタインデーには参加しません」という姿勢をとることも可能だが、それだってそれなりの覚悟がいる。

お金や時間というリソースは一切使わなかったとしても、社会的に無傷ではいられない。

イベントを楽しむ自由はもちろんあるが、参加しない自由ももっと尊重されるべきだ。

 

わたしは、「わたしはハロウィーンには参加しません」という姿勢が大いに認められているからこそ、ハロウィーンを容認することができるし、傍観者としてときに楽しくニュースを見たりしていられるのだ。

そう、「容認」だ。ハロウィーンは、寛容なイベントなのだ。

「参加したい人だけ参加すればいいよ」、という姿勢があちら(どう表現していいかわからないが、「ハロウィーン」の側だ)にあるから、こちらも、「わたしは参加しませんが、楽しんでくださいね」という気持ちでいられるのだ。

わたしが容認しようとしまいと祭りは行われるのだろうが、このバランスが保たれていれば、わたしは今後もハロウィーンに嫌悪感を抱かずにいられるような気がする。

 

ハロウィーンの経済効果はすでにバレンタインデーを超えているらしいが、まわりをうかがって贈りあう「義理」のプレゼントなんかより、仮装したい人は仮装し、飲みたい人は飲んで、それぞれ楽しくやっている経済効果の方がよほど健全だろう。