ミニマリストの小宇宙

ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

パン屋は実際のパン以上にいい匂いがする

 

パン屋というのはたいへん魅力的ないい匂いがする。わたしはぜひともその「いい匂いのパン」を買って帰りたいと思うのだが、肝心の「いい匂いのパン」が見つからない。

 

おそらく存在しないのだと思う。あれはきっとパンの匂いではなく、「パン屋の匂い」なのだ。毎日毎日いろいろなパンを焼いているパン屋の匂い。ひとつのパンの匂いではなく、もっと包括的なものだ。だからわたしは永遠に、わたしが食べたい「いい匂いのパン」を買うことができない。こんなにも素敵な、パン屋の匂いのするパンは、食べることはおろか、この目で見ることすら叶わない。わたしはそれを「イデアのパン」と呼んでいる。想像上のパン。存在しないパン。概念としての「いい匂いのする美味しいパン」だ。

 

ケーキ屋でも、おそらくは焼き菓子などを焼いているせいであろうか、たいそう美味しそうな匂いがする。その店で売っているクッキーなどもそれなりには美味しいのであるが、匂いから想像するほど美味しくはない。ケーキ屋の匂いは美味しそうなお菓子の幻想を抱かせるが、肝心の美味しいお菓子は売ってくれない。

 

コーヒー屋でもそうだ。店には挽き豆のアロマが漂い、いかにも魅力的なのであるが、そこで出されるコーヒーというのは、まずいわけではないのだがいたって普通だ。わたしの求める「すごく美味しいコーヒー」は出てこない。それはきっと想像の中にしかない。

 

匂いは快楽の予感だ。きっと美味しいにちがいない、という予感。匂いは想像をかきたて、わたしは理想的な美味しい味を想像するが、実際の味はその想像を超えてくれない。「美味しいパン」も「美味しいお菓子」も「美味しいコーヒー」も、すべてイデアだ。頭の中の「すごく美味しい味」を、わたしは永遠に味わうことができない。イデアの三角形は存在しないのだ。