ミニマリストの小宇宙

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ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

「断捨離」は単に「物を捨てる」ことではない。執着を手放す「離」の話

 

「捨てました」という言葉には、どこかうしろめたさがあるのだと思う。

まだ使えるものを捨てるなんてもったいない。贅沢だ。ミニマリストなんて金持ちの道楽だ。

 

「断捨離しました」という言葉には、ポジティブなイメージがある。

古いものを捨て、前に進むような。そこに罪悪感はない。

 

「断捨離しました」という言葉を、「捨てました」という意味で使う人は多い。

「断捨離」という言葉を使えば、「捨てる」という言葉が孕むマイナスのイメージは払拭される。

もちろん、単純に「断捨離=捨てる」だと思っている人も多くいるのだろう。

 

このブログでは、これまで「断捨離」という言葉は使っていない。

「断捨離」は単に「捨てる」こととは違うからだ。

 

断捨離は、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用し、

  • 断:入ってくるいらない物を断つ。
  • 捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
  • 離:物への執着から離れる。

として不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。

断捨離 - Wikipedia

 

 

たとえば、わたしは、TVを断捨離している。

部屋にTVはないし、自分から積極的にTVを見ることもない。TVがなくて寂しいとか退屈だとか思うこともないし、TVがなくて特に困ることもない。

 

「TVの断捨離」は、単にTVというモノが部屋にない状態を指すのではない。 

仮に、「壊れたから仕方なく捨てたけれど、お金がなくて新しいTVを買うことができない」という場合には、TVというモノが部屋からなくなっていても、「断捨離」とは言わない。TVが欲しいとか、見たいとか思っているうちは。

 

「断捨離」でいちばん難しいのは「離」だとよく言われるが、いちばん大切なのもまた「離」であると思う。

 

持たないことや捨てることに拘泥すると、断捨離の目指す「身軽で快適な生活」とはかえって離れてしまう。断捨離で自由になるはずが、かえって執着が生まれてしまうのだ。

 

たとえば、「他の家族にとっては必要なTVだが、どうしても捨てたくて仕方がない」というのは、「TVを捨てることに執着している」ともいえる。 

 

「すっきりした空間」は、TVを捨てないと難しいかもしれないが、「TVを見るのに時間を費やしたり、余計な情報に心を煩わせたりすることのない暮らし」は、TVを消すだけで手に入れることができる。

 

家族がいて「捨」ができない場合には、「家族がいるから捨てられない。断捨離できない」と思うのではなく、「離」の方を意識するというのもひとつの方法だと思う。

 

執着を手放すには少し距離を置くと良い。

かえって大切さに気が付くことも稀にあるが、たいていの場合、距離を置くと興味も薄れていく。

 

誰かと一緒に暮らしていると、住環境を100%自分の好きなようにすることは難しいが、

執着を手放す、ということには、他人に相談したり同意を得たりする必要がない。

自分の心ひとつだ。 

 

モノを捨て、惰性と執着を捨てる