ミニマリストの小宇宙

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minimalist's microcosm

「足るを知る」ことは向上心を否定しない。森鴎外『高瀬舟』

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森鴎外の「高瀬舟」。短いのですぐ読めます。

「足るを知る」ということについて考えさせられる作品です。

図書カード:高瀬舟

 

人は身に病があると、此病がなかつたらと思ふ。其日其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。萬一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考て見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出來るものやら分からない。

 

もしも仕事がなかったら、仕事が欲しいと思う。しかし仕事を得ると、今度は仕事の愚痴や待遇への不満が出てくる。毎月お金が振り込まれるのが当たり前になると、特に有り難いとも感じず、もっと多かったらなどと思う。これは今でも同じことで、もしかしたら、自分よりももっと持っている(ように見える)他人の姿が溢れている現代の方がずっと顕著かもしれない。

 

しかし欲しがるばかりが欲ではありません。

もっと削ぎ落としたい、シンプルにしたい、というものひとつの欲です。

手に入れたいという欲も、削ぎ落としたいという欲も、際限がないという点では同じです。

「足るを知る」ということを知らなければ、すぐに満足を忘れてもっともっと求めてしまいます。

お気に入りをひとつ手に入れると、他もお気に入りで揃えないと気が済まなくなりますし、片づけて部屋がスッキリすると、一度はそれで満足するのだけれど、すぐにもっとスッキリしたくなって無理に捨てるものをさがしたりするのです。モノを捨てるかどうかという悩みは贅沢なものであり、そして際限のないものです。

 

生きるか死ぬかというわけでもなく、ライフスタイルをどうこう悩める位置にありながら、それでも現状に満足を感じられないのだとすれば、その先を目指しても満足は得られません。今よりさらに良い生活を得ても、もっと上を渇望し続けます。

 

「足るを知る」ことは、幸せを感じられるもっとも簡単な方法です。

 

 一方で、「足るを知る」という考え方にネガティブなイメージを持つ方もいるかもしれません。

向上心を持たず、成長を望むことなく、現状維持に甘んじて手近な幸せで満足する。

 

分不相応な高望みをしてもどうせ叶わないから、という態度は、「足るを知る」とは違います。本当は満足しているわけではないからです。諦めているのに過ぎません。

 

『高瀬舟』の喜助は、「もらった金を元手に島で仕事をしよう」と楽しみにしています。

わずかばかりの金銭を持たされて島へ送られるという、他の罪人と同じ条件にありながら、喜助ひとりは希望を抱いているのです。

 

「足るを知る」は向上心を否定するものではありません。

現状に満足し感謝することは、成長や向上という意味においてはむしろ大きく貢献するものであるのかもしれません。

少なくとも、「足るを知る」人はそうでない人よりポジティブな傾向にあり、それだけでも十分真似する価値があると思います。