ミニマリストの小宇宙

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ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

持ってなくても楽しめる。最近の趣味の話

 

最近よく本を読みます。もともと本を読むのは好きな方ですが、今は古い作品を読むことに凝っていて、時間を見つけては少しづつ読んでいます。

 

少し前に、持っている本はほとんど手放しました。今も手元に数冊ありますが、これはずっと取っておく愛蔵書というわけではなく、単に「今手元にある」だけです。

 

古い作品は青空文庫で読むことが多いのですが、家の書斎にも少しばかりそういった本があるので、ときどき開いて見てみます(中身はくずし字だったり印刷がかすれていたりしてとても読めないので、結局青空文庫で読むのですが)。

 

本の表紙は破れそうな薄い紙で覆われ、それを紐で結ぶカバーのようなものが覆い、さらにそれが厚紙でできたケースに入っています。本はとても大切なものだったのだということがうかがい知れます。

 

青空文庫で公開されている作品も、こういう本から書き起こしたものであると想像すると、感慨深いものがあります。「持ってなくても楽しめる」素晴らしい時代ですが、それもすべて古い本がちゃんと残っていたからです。

 

古い作品に親しむようになって、本の大切さを知った気がします。わたし自身はこれからも蔵書を持つ気はありませんが、古いものをちゃんと残すことは大切なことだと思うようになりました。

 

これらの本は、これまでも数十センチ先にずっとあったのですが、特に開いて見ることもなく、すっと背表紙ばかりを読んで過ごしていました。もっと早くこれらの本の魅力に気付いていればと思います。

 

すぐそばにあったのにそれに気づかずにいた。

この状況に、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」という作品を思い出しました。有名な作品ですが、わたしにはあまり面白さが分かりませんでした。パウロ・コエーリョだと他の作品の方が好きなのですが、今頃になってふと思い出すということはやはり名作なのかもしれません。そのうち読み返してみたいです。

 

 

古いものでも青空文庫にない作品は買って読んでいます。電子書籍よりも紙の本、特に古本で買うことが多いです。電子化されていないからということもありますが、古い作品を古い本で読むということになんともいえない味わいを感じます。きれいな本よりも、変色した紙に旧字体の方が雰囲気があって好みです。読み終わった本は、ある程度まとまった数になったら手放しているのですが、これも「循環」という感じがして良いです。

 

最近は本屋に行ってもあまり目を引くものがなく、古本屋が楽しいです。