ミニマリストの小宇宙

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minimalist's microcosm

買うときも手放すときも。「モノ」は「コト」のために。

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「モノ」から「コト」へ。

 

すでに使い古された感のあるフレーズになってしまいましたが、最近思うことがありました。

 

これが言われるのは主に消費についてで、「モノ消費」「コト消費」などと使われているイメージがあります。

商品そのものではなくて、ライフスタイルや体験。

記念日にはモノではなく、一緒に旅行に行くことをプレゼントしよう、とか、

車を売るとき、その車の魅力(デザインや性能)ではなく、「車がもたらす家族の思い出」的なイメージをアピールするとか。

 

「モノ」ではなくて「コト」。

 

以前はこのように解釈していました。たとえば、ブランドの食器を買い揃えることではなくて、料理を作ることや誰かと一緒に食べること。

 

しかし最近では、こう思っています。

 

「モノ」は「コト」のために。

 

車が家族の思い出になるのであれば、お気に入りの食器で料理の楽しさを知るのであれば、それはそれで意味のあることなのではないかと。

モノがきっかけでもいいんじゃないかと。

 

お気に入りの食器をひとつ買うと、他のものも揃えたくなる。

食器が増えてくると、収納するための棚も欲しい。

棚を置くスペースがないから、キッチンをリフォームしたい。

そうしたら、もちろん調理器具もこだわりのものを揃えたい。

これがいわゆる「モノ消費」ではないかと思います。

 

一方、同じモノを買っても、こういう場合もあると思います。

お気に入りの食器がきっかけで料理の楽しさに気が付く。

一度楽しさを知ると、食器を集めることよりも料理をすることに楽しさを見出すようになる。

お気に入りの食器があるから、他にももっと欲しいとは思わない。

毎日使って、その生活に満足している。

この場合、買ったのは「モノ」でも、効果は「コト消費」に近いのです。

 

数年前、小さなショルダーバッグをもらいました。

今では持っていないものですが、財布とスマホだけ入れるような小さなバッグです。

わたしは、これを使う場面がなかったため、散歩に行くことを思いつきました。

健康のためではなく、バッグがきっかけでウォーキングを始めたのです。

そしてそれは、バッグを手放した今でも、わたしの習慣になっています。

このケースは、モノがコトを生んだと言えそうです。

 

使うわけでもなく、それを見てうれしい気持ちになるということもなく、というようなモノは、そのまま持っていても「コト」を生むことはありません。

 

 

このショルダーバッグの例には、もうひとつ大事な点があります。

 

「コトを生み出したモノ」であっても、それをずっと手元に持ちつづける必要はないということです。

 

モノの中でも、これがいちばん顕著なのは本だと思います。

大事なのは「本」そのものではなく、本を読んだこと。

本を手放しても、その本から受けた感銘が失われるわけではありません。

 

たとえば服というモノであっても、それで気分が良くなったり、外へ出かけたくなったりするのであれば、その服は間接的に「コト」を生みだすかもしれません。

いつかその服を着なくなっても、その服を着た経験は、ファッションセンスに多少寄与するところがあるかもしれません。

ですが、だからといって着なくなった服をいつまでも手元に持っておく必要はないのです。

服を手放しても、思い出も経験もなくなりません。

 

 

わたしの考える「モノ」と「コト」の違いは、自分と不可分かどうかです。

「モノ」は簡単に手に入る。

捨てることができる。

いつかなくなる。壊れる。古くなる。

「コト」は消えない。

「コト」はライフスタイルや体験のようなものを指すことが多いのですが、

思い出や知識や習慣やスキルは自分と不可分なので、壊れたりなくなったりすることはありません。

 

 

読書体験という「コト」は、本という「モノ」によってもたらされます。

電子で読む場合にも、モノが必要ないわけではありません。

本がスマホやKindleになるだけです。

 

「モノは必要ない」わけではなく、「コトを生み出さないモノは必要ない」ということなのかもしれません。

 

それを手に入れることや所有することが、「コト」をもたらすかどうか。

「コト」を与えてくれる「モノ」であること。

買うときも手放すときも、「モノ」を選ぶひとつの基準になるかもしれません。