ミニマリストの小宇宙

ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

捨てたものを忘れてしまうのは、その程度のものだったから

 

断捨離して良かったもの、なんていう記事を目にすることがある。

わたしは捨てたものはほとんど忘れてしまう。

 

これはちょうど、「いつも通る道に新しい店ができたが、前に何があったのか思い出せない」という感覚に似ていると思う。

 

これまで確かに目にしていたもの。

空き地ではなかったから、たしかにそこには何か建物があったはずなのだ。

しかしどうにも思い出せない。

無理もないことだ。それは自分にとって、とるに足らないことだったのだから。

 

毎日のように利用する商店。

目印にしている看板。

こういったものは、なくなればすぐにそれと気が付く。

風景の一部としてしか認識されない建物は、わたしが無意識のうちに「自分とは関係がないもの」として、見ていながらほとんど見えていなかったものだ。

 

ものを捨てると、これまでそれが置かれていた空間が空く。

すっきりとして清々しい気分になる。

 

空間が空いたのはそこにあった何かを捨てたからなのだが、後になってみると、自分は一体何を捨てたか思い出すことができない。

さらに時が経てば、自分が何かを捨てたということすら忘れてしまう。

捨てたものが何であったのか、たいした問題ではない。

覚えていない程度のものだ。

 

それはほとんど「自分とは関係がないもの」だったのだろう。

毎日目にしていても記憶に残らなかった、風景の一部と同じことだ。