ミニマリストの小宇宙

ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

服の数を数えることに意味はない、のかもしれない

 

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以前に一度服の数を数えてみましたが、あれからいろいろと買ったり手放したりで変わっています。

しかしもう数えるのはやめました。

 

持っているトップス全部(14枚・オールシーズン)

持っているボトム全部(7枚・オールシーズン)

手放すときこそ学ぶとき/手放す服について、その理由を考える

 

 

そもそも持っている服の数なんて、ブログを書いていなかったらたぶん数えていません。

数というのは人に説明するためにはとてもわかりやすい指標です。

 

わたしは「完璧なミニマム」を求めているわけではありません。

完璧で美しいミニマムワードローブを構築して、ずっとそれを維持していく・・・

そういうスタイルは、服のことに限らず、望んでいません。

 

わたしが望むのは、完成されたひとつの美しい形ではなく、こだわらず、とらわれず、柔軟であることです。

変化する状況に対して、必要に応じて足したり引いたりする。

 

生存のための必要最低限ではなく、自分が心地良い環境のために、誰かと関係を持ったり、趣味を楽しんだり、好きなものを身につけたりすることはあるだろう。

適切な足し算であれば、自分の輪郭がわからなくなるような事態にはならない。

この「自分というものがわかっていて、適切な関係や付属物を持ちながらも、自分の輪郭ははっきりしている」状態が、「シンプル」なのではないだろうか。

「シンプル」とは、「自分が見えている」状態である

 

 

持ち物を数えることに全く意味がないとは思いません。

ですが、数ありきになってしまうのは順番が逆です。

 

 

自分が心地良いようにすることがいちばんシンプルで、持ち物はそれに付随してくる。

 

 

わたしは服6枚、コート2枚、靴2足、で過不足なく暮らしていたことがあります。だから、それ以上になると「多い」ような気がしてしまいます。

ですが、それは学生時代の話。

社会人になって働いている今、「数」を基準にするなら、あの頃以上にシンプルになることは難しい。

でも、今には今のシンプルがあるはずです。

 

ちゃんと自分が見えていれば、輪郭がはっきりしていれば、たとえ環境が変化しても、適切に「加減」をすることで常にシンプルでいられる。

「シンプル」とは、「自分が見えている」状態である

 

 

実際、持っている服のほとんどは、もし仕事をやめるなら要らなくなる服です。

今の会社で働くということに対して、必要だから持っているのにすぎません。

大事なのは、それがちゃんとわかっていることなのだと思います。

 

服に限らず、持ち物はすべて一時的なもの。

だから、ある程度好みのものを選びはするけれど、必要以上にこだわったり、やたらと高価なものを買ったりはしない。

 

トランクひとつにお気に入りだけを詰めて、それで楽しく暮らしていけたとしても、そのトランクを失ったら、お気に入りのモノたちはなくなってしまいます。

こだわって厳選したものであればあるほど、その喪失感は大きなものかもしれません。

 

わたしは、「すべての持ち物を失っても、間に合わせのモノでひょうひょうと生きていける」のが理想です。

実際には難しいと思いますが、そうあれたらいいなと思っています。

 

「服の数を数える」ということは、わたしの理想とは真逆の行為だったとようやく気が付きました。

 

今後も分かりやすさのために数をとりあげることはあるかと思いますが、むやみに数を気にしたり指標にしたりすることはやめようと思います。