ミニマリストの小宇宙

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minimalist's microcosm

愛着のある道具たち

 

来月、スマートフォンを変えようと思っている。遅ればせながら格安SIMに乗り換えをするためである。

 

格安SIMへの変更はかなり前から検討はしていたのだが、解約月まで待っていた。

違約金を払ってでも、すぐに変更した方がトータルでは安いことは明らかであったが、それでも待った。

 

「解約月を待つ」というのは、猶予のようなものだった。先延ばしにするための口実。

わたしは今使っているスマートフォンを、わりと気に入っている。特にどうということもない機種であるし、際立った特徴があるわけではない。むしろ、もともと入っている不要なアプリを消せないことが不満だったし、そのアプリが勝手にフォトムービーを作成したりすることにはたいへんに辟易していたのである。

 

それでも、わたしは今持っているスマートフォンに愛着を感じている。これまで手にしてきたスマホや携帯電話に対しては、こんな風に思ったことはなかった。機種変更をするのは「壊れた」「飽きた」「電池が持たなくなった」など、何かしら「今の機種への不満」が大きな要因であった。今回は違う。機種はそのままに乗り換えができるならそうしたいと思っている(すでに調べたが、残念ながら対象外であった)。

 

なぜこのような愛着を持つに至ったか。

わたしはこれまで、ひとりで旅行に行くということをしてこなかった。すなわち、今のスマホを持つ以前は、スマホを頼りにひとりで知らない土地に行くということがなかった。行くとしても、仕事や何かで「仕方なく」行くのであり、それは旅行のような楽しみを伴わない。「スマホを片手に知らない土地を歩く」という楽しみを知ったのは、つい最近のことなのだ。そんなとき、使い慣れたスマートフォンをまるで頼れる相棒のように感じる。道具としての相棒。車やバイクが好きな人が、それらに抱く感覚に近いかもしれない。こうなると、勝手に作成されたフォトムービーをひとつひとつ消したりだとかの手のかかる部分も、かえって可愛く思えてしまうものである。

 

とはいえ、スマートフォンはヴィンテージの車のように修理しながらずっと使っていく、という性質のものではない。だから、「解約月」というのはいい機会である。これまでは何と非対称なルールかと思っていたが、ものは考えようだ。「きっかけ」と思えばいい。わたしは「解約月」があることによって、「愛着はあるがコストのかかる今の機種をいつまで使い続けるのか」ということを悩まなくて済むのである。

 

 

道具への愛着は、その道具に触れている時間が長くなるほど増してゆく。その道具に助けられることがあればなおさらである。

 

こだわらなくなった今の方が好きなものに囲まれていると思う

 

わたしは、ふきんやフライパンにも愛着を感じている。この感覚は、持ち物すべてに感じているわけではない。その違いを明確に定義することはできないが、「手に馴染んだ道具」には自然と愛着が生まれるのではないかと思う。ふきんはドラッグストアで買ったものであるし、フライパンも1000円しないくらいの品である。別に「いいもの」でなくとも、使い込んだ道具には「本人にしか分からない価値」があるのである。