ミニマリストの小宇宙

ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

ないものねだりをしなくなった理由

 

雑誌やインスタグラムは見ませんが、現実に会う人、特に同年代の女性の服については、わりと見ています。

袖がひらひらしたトップスや、もはや名前もわからない最新のシルエットのパンツなどを見て、おしゃれだなー、と思うことはありますし、足首が見える細いパンツを履いている人とかも、素敵だなー、と思って見ています。

ですが、「自分も同じようになりたい(似たものを買ったり、着たり)」という風にはあまり思いません。

 

人それぞれに好みや似合うものがあって、あの人に似合うものが自分に似合わない、というのと同じで、自分には似合うけれどあの人には似合わない、というものだってあるのです。

 

 

わたしは背が低くて、昔は身長の高い人に憧れていました。

ですが、反対に、わたしのような「小柄な人」に憧れる人だっているはずです。

わたし自身も、もし背が高かったら、「小柄で華奢な人がうらやましい」と、思ったかもしれないのです。

 

どちらがいいかという話ではなく、人間は「ないものねだり」をしがちであるのかもしれません。自分が持っていないものに惹かれる。

自分にも、人から羨ましがられるようなものがあるにも関わらず、わざわざ自分が「持っていないもの」ばかり見て、人を羨む。

 

 

ないものねだりをしなくなったのは、「ないもの」ではなく「あるもの」に目が行くようになったからだと思います。

 

長所をなんにも持っていない人はいません。

短所がなんにもない人というのも、おそらくいません。

 

どちらかが多い、ということはあるかもしれませんが、人には必ずどちらもあるのです。

どちらを見るか、です。

 

そして、自分が短所だと思っていたものこそ、人から見れば長所だった、ということも案外多いものです。

(先に述べた、身長の例などはまさにそうです)

 

もしかすると、「長所」も「短所」もなくて、

ただ「事実」だけがあるのかもしれません。

 

自分の身長が何センチである、という事実。

 

それを、好ましいことととらえるか、残念なことととらえるか。

 

事実に意味を与えるのは自分自身です。