本の紹介です。エッセイ集なのですが、「夜明け」という章が印象的で、今でも覚えています。
生まれつき全盲の男性が、手術によって不完全な視力を得る。という話。
何かを得ることは、何かを失うことと同義かもしれない
彼はカッターナイフで自分の眼を切り刻もうとした。手術後のことだ。
家族も、友人も、執刀した医師さえも、誰もが信じて疑わなかった。
「見えたほうが幸せに決まっている」と。
彼は「光を得る」のだと。
しかし厳密には、それは「闇を失う」ことをも意味していた。
生まれつきの盲であった彼は、彼なりの方法で世界を知覚していた。
その世界を、失った。
(冒頭、全盲でありながらあざやかに桟橋を渡る彼の姿が描かれている)
「見る」ことの基本を習得していない彼にとって、光は邪魔だった。世界は混沌とし、不完全な視力は彼を絶望させた。彼は、見えるようになった目を再び閉じて過ごすようになる。
盲が不自由なのではなかった。「盲は不自由である」という、思い込みこそが、不自由だったのだ。思うことはこんなにも自由だというのに。
視力を失うことと、生まれつき全盲であることは、全く違う。
しかし私達には、想像ができない。私達には、視力を失うことの想像しかできない。
(それすらも、実際そうなることに比べればはるかに稚拙な想像だろうが)
「見えないのはかわいそう。不便でしょう? 不自由でしょう? 見えたほうが絶対幸せだよ!」これは、悪意のない傲慢だ。足りないように見えるのは、自分の基準で判断しているからだ。
この本を読んだのは、もう10年以上も前のことだ。
彼は、幸せに生きているだろうか。