- 1. 書評を書こうと思うと本を読むのがおっくうになってしまう
- 2. 書評に書いたこと以外はすっかり忘れてしまう
- 3. 自分の感想よりも一般的に見てどこが大事かを優先させてしまう
- 4. すべて言葉にすることで「言葉にできない部分」が失われてしまう
- 5. テンプレートができると、自分で考えなくなってしまう
- 6. 書評を書くことでその本をすべて理解したような気になってしまう
書評記事にはアウトプット、備忘録などさまざまなメリットがありますが、実はデメリットもあります。
1. 書評を書こうと思うと本を読むのがおっくうになってしまう
小学生が読書感想文のせいで読書が嫌いになってしまうようなものです。
本から何かを得ようと意気込んで読むのは「読書術」としてはありですが、それだけが読書ではありません。
読む前から書評のことを考えたり、知識を身に付けるなどの目的意識を持たないで、純粋な楽しみとして読書をしたっていいんです。
2. 書評に書いたこと以外はすっかり忘れてしまう
試験の直前に勉強したことは、試験が終われば安心して忘れてしまいます。
書評を書くことは「理解を深めるための手段」であり、書評のための読書ではありません。
3. 自分の感想よりも一般的に見てどこが大事かを優先させてしまう
読書は個人的なものだし偏った読み方をしてもいいのですが、「人に読んでもらう」ことを意識した書評では、大半の人にとって有益だろうと思われる箇所を無視することは難しく、誰かが書いたものと似たような内容になってしまいます。
4. すべて言葉にすることで「言葉にできない部分」が失われてしまう
感じたことをすべて的確な言葉にできる人はいいのですが、そうでない場合、本来の味わいが薄まってしまいます。
無理矢理近い言葉で表現することで、「うまく言葉にできない部分」が失われる。
ぴったりの表現は何年もあとになって見つかったりするものです。急ぐ必要はありません。
5. テンプレートができると、自分で考えなくなってしまう
他人の文章をきれいにまとめることと、自分で考えることは別です。
ショウペンハウエル曰く、「読書とは他人にものを考えてもらうことである」。
この言葉を借りるなら、「書評とは他人の言葉を語ることである」。
人の文章を要約することは一種の技術、テクニックであり、慣れてくると、たいして考えなくてもそれらしい書評が書けるようになります。
本の内容をまとめるのがいくら上手くても、自分の評価や感想が「すばらしい」「共感した」「ぜひ取り入れたい」ばかりでは思考停止です。
また、それをまるで自分が考えたように錯覚することにも十分に気をつけなければなりません。
- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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6. 書評を書くことでその本をすべて理解したような気になってしまう
これはけっこう危険ですね。もったいないことでもあります。
一度読んだだけでも、「本から何かを得る」ことはできます。
しかし、「すべて理解する」のは不可能だと思ったほうがいい。
本を読んだ直後というのは、アウトプットには向きません。
まだ他人の言葉だからです。語るには拙速。寝かせるのです。
そのほうが本質に迫ると思います。
肉が腐って骨だけになるように、輪郭が浮かび上がる。
熟成して、他の本や、自身の知識や経験と混ざり合って、やっと自分の血肉になる。
本を読んだ熱が冷めやらぬうちに、それらしい箇所を引用してまとめることや、印象に残ったフレーズを書き留めることが悪いとは言いません。私もやります。
書評を書くことで理解が深まるのは、「書評を書くためにもう一度本に目を通すから」というのも理由のひとつ。
しかし、読書に関して言えば、「大事な部分以外捨てる」ことはしません。
未熟な自分が「ここは大事」などと判断してあとは忘れてしまう、というのは実はもったいないことでもあります。
書評を書くと、書かなかった部分を思い出すことは難しくなります。自分の拙い書評がかえって妨げになる。
あえて仕分けはしないで、全体をぼんやり覚えておく。
もちろんほとんど忘れてしまいます。しかしそのようにしても、将来、ふと思い出すことがあるのです。
必要かどうかは脳が勝手に整理してくれます。だから安心して「読みっぱなし」にして大丈夫です。
枝葉をそぎ落とす作業は、脳の働きや時間の経過にまかせればいい。
本を読んですぐに、未熟な自分の判断でやる必要はないのです。剪定を間違えるリスクもあります。
この記事を書いていて、昔読んだ本のフレーズを思い出しました。
情報を捨てる奴は野蛮
何年も前に読んだ本でも、こうやって思い出すことがある。
忘れているのは、「今の自分には必要ない情報」だからだと思います。
本当に感銘を受けた本というのは、書評など書かなくても忘れたりしません。
わたしの場合、本当に感銘を受けた本については、要約も感想も書くことができません。
下手なことを書けば、それこそなにか大事なものが失われてしまうように思います。
「きれいにまとめないで、消化不良を抱えたままにする」という方法もあるのです。
今すぐ、すべてわかる必要はない。
本は他人の言葉、他人の人生。
あらゆる時代の、あらゆる世界の、あらゆる人々の、多様な感情や主張や歴史や叡智であり、あらゆる文明の蓄積。
「理解できなくて当然」です。
誰も、他人にはなれない。だから本を読む。
自分ひとりでは得られない知識や経験、知らない世界、異なる価値観、そういうものに触れるために。
それらを簡単に「評する」ことはできないし、私はそのような賢者でも大人物でもない。
散々御託を並べましたが要するに書評を書くのがおっくうなのです。
みなさまの書評記事はとても参考になるのでありがたく拝読しています。