「どうして私のことが書いてあるんだろうと思った、と言われて泣くほど嬉しかった」というのは赤坂真理の小説の帯にあった彼女の言葉である。
10年以上も前に目にしたのを、なぜだか今でも覚えている。
もらうとうれしいもの。
言葉をもらうのが一番うれしい。
最近ツイッタ―で紹介してくれた方がいたのだけれど、こういうのは本当にうれしい。
正確にはわたしに向けられたものではないのだろうけれど、そこにひとこと添えてある言葉がうれしい。
これまでブログを書いてきて、たくさんの言葉をもらった。
中でもすごくうれしかった言葉というのは今でも覚えていて、それは自信がなくなったときなんかにすごくすごく支えになる。
わたしにその言葉をくれた人はもう忘れているかもしれないけれど。
反応が欲しくて、褒められたくてブログやってんのか? と自問したこともあった。
自分のためじゃないのか? 書きたいから書くんじゃないのか?
反応が欲しくないなんて嘘だ。うれしくないわけがない。
人にあげるならモノより気持ちで、気持ちを伝えるのはやっぱり言葉なんだと思う。
歯の浮くようなお世辞より、本音に近い、等身大の共感がうれしい。
「どうして私のことが書いてあるんだろうと思った」は、お世辞では出てこない言葉だ。
だからきっとその人の本当の言葉だし、書いた自分も「ほんものが書けた」ような気がする。
今日一日、形式だけの「ありがとう」を何回言っただろう。
相手にはそれが形式だけだときっとバレているのだろうな。