今のわたしの場合、何かを買うときには理由を求めるけれど、手放すときにはたいそうな理由は必要としていません。
(買うときの理由も、別にたいそうなものではありませんが)
一般的には逆だと思います。
浜崎あゆみの歌に、「恋愛の始まりに理由はないが、終わりには理由がある」という意味の歌詞がありましたが、持ちものについてもこれに近いものがあると思います。
手に入れるのに理由はないけれど、手放すのには理由を求める。
たいした理由がなくても、なんとなく可愛いから買う。お得だからもらう。
そして一度手に入れたら、手放すことには理由を求める。
断捨離のやり方、後悔しない捨て方、捨て時のサイン、などの後押しを欲する。
理由なく手に入れたものでも、手放すのには理由が欲しい。
「ここに入りきらなくなったら捨てる」とか、「1つ買ったから2つ捨てる」とか、「1年間使っていないから捨てる」とか。
あるいは、「モノを捨てると幸せになる」とか、「服を減らすとおしゃれになる」とか。
手放すときにももちろん理由はあるのですが、その理由はすべて「もう必要ないから」ということに集約されます。
要らないものを捨てるのに理屈は要りません。
要らないのですから。
持っている状態を基準に考えるから、「捨てる理由」を欲する。
持たない状態を基準に考えれば、「持たない理由」は必要ない。
どんなモノでも、はじめは自分のモノではないのです。
買ったりもらったりして手元にあるだけで、もともとは自分のモノでも何でもなかったのです。
このまま持ち続けるという現状維持に対して、捨てるということには行為が伴います。
だから捨てるという行為のためには何か理由が必要な気がしてしまうのだと思いますが、積極的な「持つ理由」が見当たらないなら、それで十分です。