「モノ」から「コト」へ。
すでに使い古された感のあるフレーズになってしまいましたが、最近思うことがあります。
これが言われるのは主に消費についてで、「モノ消費」「コト消費」などと使われているイメージがあります。
商品そのものではなくて、ライフスタイルや体験。
記念日にはモノではなく、一緒に旅行に行くことをプレゼントしよう、とか、
車を売るとき、その車の魅力(デザインや性能)ではなく、「車がもたらす家族の思い出」的なイメージをアピールするとか。
「モノ」ではなくて「コト」。
以前はこのように解釈していました。たとえば、ブランドの食器を買い揃えることではなくて、料理を作ることや誰かと一緒に食べること。
モノ → コト
モノ vs コト
モノ < コト
のようなイメージです。
しかし最近では、こう思っています。
「モノ」は「コト」のため。
モノ for コト です。
車が家族の思い出になるのであれば、お気に入りの食器で料理の楽しさを知るのであれば、それはそれで意味のあることなのではないかと。
モノがきっかけでもいいんじゃないかと。
たとえば服というモノであっても、それで気分が良くなったり、外へ出かけたくなったりするのであれば、その服は間接的に「コト」を生みだすかもしれません。
いつかその服を着なくなっても、その服を着た経験は、ファッションセンスに多少寄与するところがあるかもしれません。
でも、だからといって着なくなった服をいつまでも手元に持っておく必要はない。
服を手放しても、思い出も経験もなくなりません。
わたしの考える「モノ」と「コト」の違いは、自分と不可分かどうかです。
「モノ」は簡単に手に入る。
捨てることができる。
いつかなくなる。壊れる。古くなる。
「コト」は消えない。
「コト」はライフスタイルや体験のようなものを指すことが多いのですが、
思い出や知識や習慣やスキルは自分と不可分なので、壊れたりなくなったりすることはありません。
読書体験という「コト」は、本という「モノ」によってもたらされます。
電子で読む場合にも、モノが必要ないわけではありません。
本がスマホやKindleになるだけです。
「モノは必要ない」わけではなく、「コトを生み出さないモノは必要ない」ということなのかもしれません。
それを手に入れることや所有することが、「コト」をもたらすかどうか。
「コト」を与えてくれる「モノ」であること。
買うときも手放すときも、「モノ」を選ぶひとつの基準になるかもしれません。