わたし自身はコスパ重視というわけではありませんが、コスパについてひとつ思っていることがあります。
「無形の文化」のコスパは、異常なほど高い。
一流の文学が読みたいと思えば、図書館や青空文庫で無料で読めますし、最新の本であってもそれほど高いわけではありません。
Youtubeには名曲から最新曲までが数多くアップロードされ、
配信サービスでは、何億というお金を投じて作られた映画が、数百円で見放題だったりするのです。
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ところが、「自分のものにしよう」とすると、とたんにお金がかかります。
美術館で美術品を見ることは安く楽しめますが、
美術品を買って自分のものにすることには、莫大なお金が必要です。
ひとつしかない美術品、一流ブランドの服、高級レストランでの食事、 こういったものは「無形」ではなく、誰かが消費すると他の人は消費できないので、安くならないのです。
映画や音楽や文学などの「無形の文化」は、どれだけ消費しても、他の人の分がなくなったりしません。
だから安くしやすい。
(作品がタダ同然なのは果たして健全なのか? ということについてはこちらで書いています)
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そのかわり、「無形の文化」は、自分だけのものにすることができません。
自分が買ったDVDは自分だけのものでも、他の人が同じDVDを買うことや、その映画を見ることを妨げることはできないのです。
ところで、「自分のものにする」とは、どういうことでしょうか。
所有するということは、自分がそれを自由にできる、ということだけでなく、他の人には消費させないという、排他的な意味合いもあります。
スナフキンの有名な台詞に、こんなものがあります。
「自分できれいだと思うものは、 なんでもぼくのものさ。
その気になれば、 世界中でもね」
彼がいうのは、排他的所有ではありません。
「ぼくのもの」だけれど、そのことは、他の人が夜空を見て楽しむことを決して妨げない。
お金を出して自分のものにする、ということの意味は、お店や倉庫にある商品が持つ「誰もがそれを手にできる可能性」を排除すること。
みんなが欲しがるものや、貴重なものには、それなりの対価が必要です。
誰かがそれを買うと、他の人は使えないからです。
他人を排除するための費用が、商品の代金なのです。
(これが悪いという話ではありません。自分が買ったものを、他の人が勝手に使っていたらおかしいですよね。)
それが、「自分のものにしようとするとお金がかかる」ということです。
「僕のものではないよ、だけど僕が見ている間は 僕のものなのかもね」
こんな風に思えたら、きっといろいろなことが楽になるだろうなあと思います。
ムーミンの中でいちばん好きな話は「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」です。
気分がすっきりして、何もかも捨てたくなります。
スナフキンは出てきませんが、シンプルライフ・ミニマリストに興味のある方なら、きっと共感できると思います。