このブログは匿名で運営しています。
ただ、匿名のブログであっても、長く続けているとそれ自体がひとつの人格を持つというか、「◯◯を書いてる人」という記号を持つことになります。実名を出さないという意味では匿名でも、識別記号を持つという意味では完全な匿名ではないのです。
ありがたいことに、このブログを読みに来てくれる人がたくさんいらっしゃいます。
わたしも人並みに、そういう人たちから「嫌われたくない」という思いは持っています。「こんなことを書いたら嫌われるかな、もう読んでくれないかな」というようなことは、書くのを躊躇してしまいます。
せっかく得た好意を失うのが惜しいのです。
ですが、「すべてに共感する」ということはほとんど不可能なことです。
ちょっとでも共感できたり、いいなと思える部分があったりすれば、それで十分じゃないかと思うのです。「ここは共感できない」という部分があったとしても、それがふつうです。
全部を好きにならなくても良い。
わたしには「嫌われてもいい」と言い切ることは難しい。
当然、嫌われるよりも好かれたい。
だからこんな言葉になってしまうけれど、「全部を好きにならなくても良い」と思うことができたら、「嫌われたくない」と保守的になるよりもずっと楽になるように思います。
自分がどう思われるかということに対しても、自分が相手をどう見るかということに対しても。
相手に「嫌いな部分」があってもいい。全部を好きにならなくても良い。嫌いな部分があっても、その人の全部を嫌いになる必要はない。
よく考えたら、自分自身も、自分のすべてが好きとは思っていないのです。わたしはわりと「自分が好き」ですが、それでも嫌いな部分はあります。
相手に、すべてにおいて素晴らしい人間であることを求めるわけにはいかない。自分に置き換えて考えれば、実に当たり前のことだ。
astudyinscarlet.hatenablog.com
「全部を好きにならなくても良い」という考え方は、今の自分にちょうど良い塩梅だと思います。
みんなに好かれたい、というのとも、嫌われてもいいから好きに振る舞う、というのとも違います。
一見諦めのようにも聞こえますが、「一部でいいから好かれたい」ということなので、額面よりは欲張りな言葉なのです。