少し前に「雑誌の表紙だけ読む」ということをしていたのですが、最近は少し飽きてきて、あまり積極的にはしていません。
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今はまっているのは、紙の新聞です。
日経新聞を読んでいます。
就職活動で義務感から読んでいたときには別段面白いとも思いませんでしたが、今、娯楽として読むととても面白いです。
「読書」と「新聞」
読書は機微を楽しむものですが、新聞はもっと大枠です。
文章の味わいではなく、大きな流れを読みます。
ざっと眺めるだけでも、今まさに変化の中にいる、という感じがします。
本の中のできごとではなくて、実際にこの世界で起きている変化です。
日々の変化も、もっと大きい単位の変化も、ダイナミックに感じられます。
本と違って、どこから読み始めてもいいし、一字一句きっちり読まなくてもいい、というのがすごく新鮮で、自由で、気楽です。
(もちろん本も、はじめから一字一句きっちり読むかどうかは自由なのですが)
となれば、当然、自分の興味のある分野に目が行きます。
今興味があるのはフィンテックとか、その方面の話題です。
スマホ決済や無人コンビニ、自分の生活にも、大いに関係のあることです。
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新聞の楽しみ方、の一例
最近見つけた楽しみ方は、伏線回収です。
Tポイントも四面楚歌 カリスマ増田氏の秘策とは :日本経済新聞
上の記事を紙面で読んだのですが、これはまさに「伏線」ではないかと思ったのです。
この記事を読んでいることで、今後何かのニュースで増田氏の名前を見かけたときに、あの増田氏か、とにやりとできます。
新聞を読んでいることによって、今後の出来事やニュースが、唐突ではなく、流れの中に感じられる。
たいていのニュースは、ある日突然一面ニュースになりますが、その前に、いろいろなことが起こっているはずなのです。
新聞には、いろいろな動きが、早い段階から載っています。
新聞を読むということは、毎日毎日、未来に伏線を仕込むということです。
そして同時に、これまでの伏線回収でもあるのです。
増田宗昭氏が気になったので検索してみたところ、非常に興味深い人物でした。
今となっては当たり前の、「ツタヤで映画を借りるというライフスタイル」を作った人です。
トップメッセージ|CCC カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社
「ニュースサイト」と「新聞」
新聞をざっと読み、気になったことはあとで検索する。
だったら最初からニュースサイトを見れば良いのでは、とも思ったのですが、やはり違うのです。
書いてある文章が全く同じだとしても、違います。
ニュースサイトは、見出しをクリックするというアクションが入るし、開いてみるまでボリュームが分かりません。
開くかどうか、という自分の判断を入れてしまうと、隣の記事がなんとなく目に入る、ということもありません。
スムーズに目線が移っていくのは、紙の新聞ならではです。
あらためて「紙の一覧性」というのを実感しています。
もちろん、新聞が正しくてネットは間違っている、みたいなことは思っていません。
ネットを見る時間の方が、圧倒的に多いです。
ただ、ニュースサイトであっても、過激なタイトルだけで中身のない記事が溢れているのが現状です。 名乗れば誰でもライターです。
ネットニュースは、「ニュース」と「個人の意見」との境目がすごく曖昧で、個人ブログがまるで有識者のコラムのように取り上げられていることも少なくありません。
こんなことを書いている私自身も、「ネットの情報」の一部です。
この海は、とても広いのです。
広すぎて、上手な泳ぎ方を知らないと、どんどん時間を浪費して、溺れてしまいます。
労多くして功少なし、です。
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まだある、「紙」の良いところ。
紙の新聞には、紙面があります。
限りのある中での表現です。
新聞に載っているのは、選ばれた情報です。
紙面に限りがあるからこそ、載っている情報に価値があるのです。
(新聞の思想による偏りとか、もちろんデメリットもあるのですが、それはネットでも同じことです)
ウェブサイトは情報過多です。
たくさんの見出し、広告、ランキング、関連記事、とにかく情報が多くて、いつまで読んでも終わりがありません。
(情報が多いのは、もちろんメリットでもあります)
紙の新聞は、読み終わることができます。
最後のページをたたむことで、満足感が得られます。
(紙の新聞のメリットというと、一覧性や保存性、情報の優劣がわかりやすい、レイアウトで記憶されることやスクラップができること、さらには古新聞としての利用などが挙げられますが、この「読み終わることができる」という点は意外と見落とされがちだと思います)
大きな紙をガサガサと音を立てて広げ、
活字の海に目線を泳がせる。
スマートではないかもしれませんが、
これぞ「新聞を読んでいる」という感じです。
読み終わった新聞をたたみながら、
「今日も新聞を読んだ」という満足感を味わっています。