私はこのブログで
「買ったもの」だけではなくて
「買おうと思っているもの」について時々取り上げることがあるのですが
そういうものは結局買っていないことに気が付きました
astudyinscarlet.hatenablog.com
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これはどうしてだろうと
多分なんですけど
ブログに書くことでもう満足しちゃうんじゃないかと
物欲に限らないんですけれども
欲っていうのは抑えてはいけないのだそうです
そういう欲を自分が持っているっていうことは認めないといけない
認めると言うか受け入れるということですね
押さえつけると絶対どっかで無理が生じてきますから
受け入れた上でああこれが欲しいんだねって いう感じで客観的に見るというか
メタ的な感じです
欲は受け入れた方が穏やかに過ごせるのです
(このあたりの話は小池龍之介さんの本など読むのがおすすめです)
例えば欲しいものリストをノートに書くみたいな
もう古典的なやり方になりつつありますけれど
この方法も ある種メタ的ではあるんですよ
一旦外に出して見つめるっていうことなので
まずは書くことで「欲しい」という欲を認めていますし
それを見ることで
「欲しいと思っている自分」から少し離れて
「それを観察する自分」の視点を持つことができるのです
ブログに書くというのもこれと同じですよね
これが欲しいとか買おうと思ってるって話をすることは
欲を受け入れているということです
その経緯とかなんでそれが欲しいのかっていうことを人に説明しようとしたり
そうやって自分が書いたものを読んだりすることで
客観的な視点も入ってきます
だから多分もうそれで満足なんですよね
「計画は行動を消費する」
と言うんですけれどまさにその通りで
買おうと思って計画を立てていると
それでもう満足しちゃって買わなくてもいいやってなっちゃうんです
考えることで満足して
物欲の方は薄れてしまう
少し前にもこういうことがありました
astudyinscarlet.hatenablog.com
このことは今に始まったわけではなくて
考えてみれば前からそうだったんです
まだ学生の頃ですが
お金を貯めて一生ものの高い時計を買おうと思って
いざ買う段になると もうそれほど欲しくなかったんです
どれを買おうか選んだり
毎月お金を貯めたりして
十分すぎる「計画」をしてしまったので
物欲はほとんど
消費されつくした後でした
そのためにお金を貯めたのだからと ほとんど使命感というか何というか
そういうもので買いました
当時の私が
「もうそれほど欲しくない自分」を冷静に観察できていたら
変な義務感でそんな買い物をする必要はないのだと
認めることができたかもしれません
(そうして買った時計も、結局手放しました)
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どれを買おうかなっていうのを楽しく迷えているって言うことは
今すぐ買わなくても大丈夫ってことで
それは「あるといいかも」という買い物の姿勢なんです
私はドライヤーが壊れた時は 次の日すぐに買いました
家電量販店に行ってあるものの中から選んだのですが
こういう時は あんまり迷わないです というかそんな暇がないんですね
(ドライヤーなしで過ごせないのか、という実験はその日のうちに結果が出ました)
本当に必要だったら
あれこれ迷わず
すぱっと買います
ブログに書いてみたりする余裕があるということは
そういうことなのです
そうしてあれこれ考えているうちに
欲求は消費されてしまう
だから「結局買わない」ことが多いのだと思います
ちなみに「計画は欲求を消費する」というのは
ダイゴさんの本を読んで
グーグルキープにメモしていた言葉です
astudyinscarlet.hatenablog.com
以下にメモを引用します
何か行動したいという欲求が生じた時
その行動のための計画を立てると
欲求は抑制されます
計画は欲求を消費してしまうのです考えることで行動のために必要な意志力が半分使われてしまう と言ってもいい
考えることは行動を妨げます行動できなければ変化できない だから頭はいらないわけです
もっとも考えると行動できなくなるという人間の性質も使い道はあります
考えること準備することは行動を妨げます
ということはやってはいけないことをやらないためには考えることが有効なのです最終的にこのコートを買おうと決定した頃には買いたい欲求が消えてしまっている
メモをとりながら読書をする、ということは基本的にはしませんが
気になった部分を控えておくことはあります
少し面倒ですが
こんな風に あとで役に立つこともあります