minimalist's microcosm

ミニマリストの小宇宙

オリジナリティとはモザイク画のようなもの

 

 

 

 

気づけばブログ記事が 500を超えていた

後になって消したものなどもあるから実際にはもっと書いている

(さらに言うと書いただけで公開していない記事というのもゆうに100以上はある)

 

書きたいから書いているのであって 頑張ったというようなつもりは一切ないが

さすがに 少しは感慨のようなものも感じる

 

たまに過去のブログを読み返したりすると

自分でも驚くようなことが書いてある

中には読むに耐えないようなものもある

 

考えが変わったり やっぱり元に戻ったりもする

嘘を書いていたわけではない

ただすべてはその瞬間の考えにすぎない というだけだ

あるいは

何を書いて何を書かないかという比重の問題である

 

整合性を求めることはとうにやめた

はじめのうちは気になったが ずっと変わらないことの方が不自然なのだ

 

ブログ記事は 私の人生のある一時点のもの

つまり一瞬の閃きのようなものだが

それが幾重にも積み重なると 別の価値が生まれるような気がする

一つの記事は点画における点の一つかもしれないが それがいくつも集まって 別の像を形成する

そして 新たな点が加わることで その全体像も 姿を変えていく

 

自分のブログを読むと

この時期はどのブロガーの影響を受けている、というのがわかる

自分だから分かるのか

他の人から見ても分かるくらいにじみ出ているのかは分からない

 

特定の誰かのブログを熟読すると

自分の中にその人の文体のリズムができる

 

真似しようとしなくても

その文体が自分のひとつのバリエーションになる

 

このブログには決まった文体というものがない

「ですます調」だったり「である調」だったりするし

「ですよね」というような文体のときもある

 

音声入力をするようになって

またひとつ新しい文体を使えるようになった

 

句読点を使わず

こまめに改行するスタイルだ

 

句読点をつけないというのは谷崎潤一郎が春琴抄でやっていることだし

今更 新しさを誇るようなものでもないが

 

句読点に関して言えば

「あえてつけない」ということ以上に

「つけることが困難である」という事情がある

 

話し言葉には「。」があまりなくて

ひたすら「、」でつないでいくことが多い

(もちろん話者によるところは大きい)

 

話し言葉で書くことも多くなった

音声入力のときは本当に話しているから当然なのだが

その下書きを加筆修正するうちに

「初めから話し言葉で書く」ということもできるようになったのだ

 

 

オリジナリティとはモザイク画のようなものだと思っている

本当に何もない状態からの

完全なる自分のオリジナルっていうものは 存在しなくて

自分の経験したこととか 影響を受けたものとか好きなものとかそういうものの 集合体と言うか

ひとつひとつの構成要素はすでにあるものだけど

その組み合わせが個性なのだ

 

誰の、どんなところに、どの程度影響を受けるのか、というのは

全く同じものを見ていたとしても微妙に異なる

 

 

自分の言葉 とはいうが

言葉を発明したのは自分ではない

言葉というすでにあるものを使って表現している

 

 

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ここまでが約2年前の下書きである

 

うまくまとめることができなくてそのまま放置されていたのだろう

 

 

語尾もそろっていないので

下書きというより走り書きと言った方が良さそうだ

 

記事数や音声入力について触れている箇所もあるから

おそらくかなりの加筆をしている

もう2年前の原型などはとどめていないのかもしれない

 

 

 

2年経った今でも

ここに何かそれらしい締めくくりを与えることは難しい

 

難しいが

このまま奥底へしまい込んで忘れてしまうのは惜しいような気がするので

 

こうして公開してモザイク画の一部とすることで

この断片にささやかな役割を与えようと思う