髪を切ってから、ピアスをつけるようになりました。
「単なる装飾としてのアクセサリーはもう要らない」なんて達観したようなことを言ったこともありますが、今振り返るとその当時の気分にすぎなかったと思います。
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仕事も含め、出かける予定がある日は、ほとんどピアスをつけます。
一粒石の、シンプルなスタッドピアスです。
毎日同じです。
どれにしようか迷うこともありません。
ショートヘアには大きめのピアス、なんていうことも言われますが、私は控えめな方がしっくりくるようです。
もう少し華やかなピアスも一応持ってはいるのですが、普段は使いません。
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一粒タイプと言ってもピンキリですが、とりあえず手頃なものを買いました。
そのうちいわゆる「一生モノ」的なものが欲しくなるかな、と思っていたのですが、案外そうはなりませんでした。
高価なピアスを買っても、その喜びが長く続かないことが、もう想像できてしまうのです。
はじめは高揚感があるかもしれません。
自分がいいものになったような、自分の価値が上がったような錯覚を、味わうことができるかもしれません。
でもすぐにきっと慣れてしまうのです。
当たり前の日常になって、他人から見れば人工もダイヤも何も変わらなくて、ときどき思い出したように、「一生モノの高いピアスを買って大事に使っている自分」というセルフイメージに陳腐な自己満足を感じてみたりするだけなのです。
もちろん、憧れが全くないとは言いませんし、プレゼントされたりしたらすごくうれしいと思います。
でも、やっぱり買うことはしないと思います。
私は、毎朝の、ピアスをつけるという行為が好きです。
とても小さな、ささやかなことですが、少しうれしい気持ちになります。
この行為に感じる幸せの程度は、高いピアスを買ったからと言ってものすごくうれしい気持ちになったりするわけじゃなくて、きっと同じだと思います。
その喜びは、所有の喜びとは少し違うからです。
もしかすると、高いピアスを落としてしまうことが心配になったり、電話のときにぶつけてしまってひやひやしたりして、かえって心労が増えてしまうかもしれません。
おそらく出先で外したときの入れ物にも、こだわろうとするような気がします。
そうして、「持っていることのマイナス」が大きくなってしまうことで、これまでのささやかな喜びは、もう感じることができなくなってしまうのです。
今のピアスは、気負わず日常使いができて、それでいて「毎朝ピアスをつける喜び」を感じさせてくれるお気に入りの持ち物です。
お気に入りですが、失くしてもそれほどショックも感じないし、いくらでも替えがききます。
お気に入りというのは、代わりのきかない何かとても大切なもの、というだけではなくて、こういうお気に入りもあるんだ、と気がつきました。
こういうお気に入りは、モノに振り回される感じがしなくて、なんというか、健全で良いです。
ピアスはこちらで購入したものです。
1,000円とお手頃なのですが、ピアスでかぶれてしまうことのある私でも問題なく使えるので助かります。