ミニマリストの小宇宙

ミニマリストの小宇宙

minimalist's microcosm

定額制サービスの「見放題」「聴き放題」って実は間違った認識なのかもしれない

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

f:id:astudyinscarlet:20170701115943j:plain

 

最近、オーディオブックの「audible」の広告をよく見ます。

定額制動画配信サービスに定額制音楽配信サービス、さらには定額制のオーディオブックサービス。そんなに消化できません。

 

見放題・聞き放題は無限ではない

見放題、聞き放題といったって、見たり聞いたりするための時間が増えるわけじゃないんです。

これらのサービスを活用するためには、今の生活から時間を捻出しないといけないわけで。

 

もちろん、ニーズに合っている人にはいいサービスなのですが、特に必要ではないけど、定額だから、「使わないともったいない」。

そんな風に感じるなら、むしろ「時間とられ放題」になるかもしれません。 

 

見放題・聞き放題に埋められていく閉塞感

数年前、こんな風刺画を見た。

ひとりの男性が、アップル社のパソコンの前に座っている。耳にはiPod、右手にiPhone、左手にiPad。

(さらに現代風にするなら、アップルウォッチも加えたいところです)

 

「この1台で。」という最先端のアイテムをたくさん抱えて、それってほんとに便利になってますか?

 

こんなのはどうだろう。

「年間(月間)〇〇円で、〇〇放題。」のサービスを過剰に消費する現代人。

huluやNetflixで映画やドラマを見て、Apple MusicやGoogle Play Musicで音楽を聴いて、audibleでオーディオブックを聞いて。Amazonプライムにコストコ年会費、ディズニーランドの年間パスポート。さらには、TVさえあれば番組は無料で見放題、ネットも定額で使い放題、Youtubeは無料で見放題。SNSは「ほぼ」無料で、写真も動画も載せ放題、ブログ書き放題、140文字以内でつぶやき放題。

 

我々は確実に豊かになった。しかし1日は24時間のままだ。 

サービスが、「労働基準法にもかかわらず働き放題」の我々の、わずかな隙間を埋めていく。考える必要すらない。次にどの動画を見るべきかまで教えてくれるのだから。

 

定額制サービスは、たくさんの作品を低料金で楽しめると謳っている。

(だから、入らないのは損のように感じるかもしれない)

 

しかし実際には、ごく一部の例外を除きあらゆる作品は世界中に提供され、誰もが触れられる。それらは、「定額制サービスには含まれない作品」も含めたすべての作品だ。

「サービスを使わないともったいないから」といって、サービス内の作品にしか触れなくなることは、むしろ貧しいことではないだろうか。

 

選択肢の面で言えば、我々ははじめから「見放題」である。

そして時間の面で言えば、どのようなサービスを使おうとも「見放題」は実現しない。

 

定額制音楽配信サービスは「音楽のTV化」?