はじめに
昨今のミニマリストブームにより、「ミニマリストになると幸せになれる」かのような言説が目に付きます。
モノは最低限、幸せは最大限。
しかし、「モノを最低限にしたから」幸せが最大限になるわけではありません。
この記事は「ミニマリストの満足度が高い傾向にある理由」を経済学で(無理矢理)説明しようと試みるものです。
効用について
各人が効用(=幸せ、満足度)を最大にすべく合理的に行動する。
それが経済学における前提です。
しかし、「自分にとって何が幸せか」というのは、実はけっこう難しい。
合理的な消費者は、「自分の効用が最大になるように消費をする」。
別の見方をすれば、「合理的な選択をするためには、自分の効用を理解しておく必要がある」ということです。
「合理的」とは、自己の利益を最大にするということは、
何が自分にとって幸せかを知っていて、そのために行動する、ということなのです。
「合理的」とは無駄を省くことではない。自分の幸せのために最適な道を選択することである。
といっても、効用を「事前に、正しく評価する」ことは簡単ではありません。
期待して見に行った映画がつまらなかった、とか、嫌々行ったパーティが案外楽しかった、とか、予想と結果は必ずしも一致しないからです。
限界効用逓減について
最初の1杯のビールはうまいが、2杯目は1杯目ほどうまくない、3杯目は2杯目ほどうまくない。このように1杯目、2杯目、3杯目となるほど、ビール(財)から得られるメリット(効用)は小さくなる。
※「限界効用」= 財を追加で1つ消費するときの効用の増加分
※「逓減」= 少しずつ減る
たくさん消費をすると、追加で得られる満足はだんだん少なくなる。ということです。
5枚目の服は、100枚目の服より効用が大きい。
同じモノを買っても、「消費量(所有量)が少ない人は、そうでない人より得られる効用が大きい」という言い方もできそうですね。
最適な消費量/限界効用は本当に逓減するのか?
限界効用逓減は、すべての場合に当てはまるわけではありません。薬などは、必要以上に摂取するとかえって毒になったりしますよね。
財の性質によっては、適量でないと効用が極端に小さかったり、かえってマイナスになることもある。
しかし、同じ財でも、「人によって」変わる場合もあるのではないでしょうか。
先ほどのビールの例をあげれば、ビールが好きな人と嫌いな人では効用は全く違うものになるはずです。
私はいわゆる下戸なので、ビールの効用は1杯目からマイナスです。
モノを買うことの限界効用が「逓減」しない場合として、以下のようなタイプが考えられます。
・限界効用激減型
お気に入りだけで暮らしたい。少数のお気に入り以外に対する効用が極端に小さい。
減らすことにはこだわらず、あるものを使い、必要以上は求めないという方もこのタイプ。
・限界効用むしろマイナス型
ずぼら、ノマド、効率重視など。必要な数を超えると、限界効用はむしろマイナスになる。
また、お気に入り以外は徹底的に排除したい人や、モノを持たないことにこだわる人もこのタイプです。
一般的に、消費をすればするほど、トータルの効用は大きくなります。(図1)
図1 (クリックで拡大できます)
しかし「激減型」や「むしろマイナス型」の場合には、追加で消費をしても効用が大きくならなかったり、トータルの効用がかえって小さくなってしまいます。(図2)
図2 (クリックで拡大できます)
グラフは適当ですが、イメージはこんな感じです。
「逓減」の場合はゆるやかに増え続けるのに対し、「マイナス型」にはピークがあり、それを過ぎると効用はむしろ減る。
このタイプは、「たくさん」よりも「適量」のほうが効用が高いのです。
ただ、ビールが好きな人でも、飲みすぎれば「これ以上はいらない、飲みたくない」という量があるかと思います。この場合、限界効用はマイナスといえるのではないでしょうか。
どんな人でも、度が過ぎればいずれ効用がマイナスになる点が訪れる。
モノを買う(手に入れる)のは「持っていないから、必要だから」であると考えれば、
「すでにたくさん持っておりこれ以上消費をしてもそんなに効用は得られないような水準になってもまだ消費をやめない」ことのほうが不自然なのかもしれません。
効用の過大評価/効用を正しく評価できているか?
より効用の大きい消費へのシフト。「最適な消費の組み合わせ」を選択することで、満足度が高くなる。
「これまでモノばかり買っていたが、モノを買う代わりに旅行や体験に使うようにしたら、その方が満足度が高かった」というのがこれにあたります。
なぜ、これまで「最適でない」消費をしていたのか?
モノを買うことの効用を過大評価していたからではないかと思います。
「上質なものを買えば、上質な暮らしができる」というように。
(表1)が、ある人にとっての「コト消費」「モノ消費」「過大評価したモノ消費」の効用であるとします。
消費量が増えると限界効用が小さくなることは前述の通り。
(表2)は、予算制約が4単位のときの、コト消費とモノ消費の可能な組み合わせと、そこから得られる効用です。
※クリックで拡大できます
モノ消費の効用をUb2と予想すると、「コト1、モノ3」がもっとも効用が大きいように見えますね。
しかし実際にはモノ消費の効用はUb1なので、得られる効用は期待した「61」ではなく「29」です。
実際にもっとも効用が大きい組み合わせは「コト2、モノ2」なので、「コト1、モノ3」から「コト2、モノ2」に消費内容を変えることで、効用は「29」から「32」に増えます。
モノを買うことの効用は実際には期待ほど大きくないと気づくことで、最適な消費に近づく。
ただし、モノを買うことは一切やめてしまって、どんどんコト消費に費やすことで効用が上がり続ける、というわけではありません。組み合わせ、バランスが大事です。
ミニマリストになると幸せになれるのか?
単純に「ミニマリストになる = 持ち物を減らすこと」と考えると、その過程で、自身の効用が以前よりも明確になることが考えられます。
持ち物を減らすことが、自分の価値観と向き合うきっかけになり、最適消費に近づく。
しかし、その人の最適消費が「モノは最小限」でない場合は、極限までモノを減らすことはむしろ効用を小さくします。
「極限までモノを減らしたけど、不便だし楽しくないのでやっぱりある程度モノを持つことにした」というのは、リバウンドなどではなく、むしろ正しいことだと思います。最適な量がわかった、ということですね。
「ミニマリストになれば幸せになれる」のではなくて、
「消費や時間のバランスを改善すれば満足度が上がる」ということなのです。
大事なのは、お金や時間の使い方に、適切な配分ができること。
効用を正しく評価できて、実行できることです。
繰り返しになりますが、「モノを最小限にしたから」幸せが最大限になるわけではありません。
「ミニマリストになれば幸せ」というのも、ある意味ではメディアに踊らされた「効用の過大評価」かもしれませんよ。
最後に
たくさんモノを持つことが豊かさや幸せの象徴であった時代は終わりつつある。しかしそれは必ずしも「少ないほうが豊かで幸せである」という単純な反転ではない。
「たくさんのモノを持っていることは幸せである」の否定が意味するところは、
「たくさんのモノを持っていることは不幸である」でも、
「たくさんのモノを持っていないことは幸せである」でもなく、
「たくさんのモノを持っていることは幸せである、とは限らない」です。
人間の幸せが持ち物の多寡だけで決まるわけがありません。当たり前すぎる話なんですけど。
大事なのは、何が重要か知っていること。
優先順位が明確な人は、常識やメディアに影響されず、自分にとって満足度の高い選択ができるのではないかと思います。