訃報を聞いて真っ先に思うことが、香典はいくら包めばいいだろう、であったのはおそらく恥ずべきことなのだろう。
故人は私にとって会社の上司にあたる。
私は、故人にはお世話になったと思う。
しかし悲しみはまだ感じることができないでいる。
訃報は突然ではあったが、驚きはなかった。故人は長いこと病床に臥しており、回復が難しいことは私にもわかっていた。
会社帰りに大型チェーンのスーツ店を訪れた。私は喪服を持っていない。
こちらの商品がお若い方向けになっておりますー、お姉さんなら、襟がないタイプの方がお似合いになると思いますよー、こちらか、こちらですねー、サイズは5号ですねー、あ、鏡見てみます? どうぞどうぞ。数珠なんかはお持ちですか? あ、はい、そちらが無難でよろしいかと。バッグは20%オフにしておきますねー、普段スーツ着られます? 今キャンペーンやってまして、あ、スーツは着られない、そうですか、じゃあ必要ないですねー、ネックレスなんかはよろしいですか? あ、そうですか、そうですよねー、靴は・・・
なんだかよくわからないまま6万円の喪服を買った。会計は7万円を超え、手持ちがないのでカードで払った。
考えてみれば、こんなに高い服は買ったことがない。高いものでもせいぜい3万ぐらいだ。
店舗でのカード払いというのもめったにしない。
カードを使うときはいつも、何か不具合が起きるんじゃないかとドキドキしてしまう。今まで不具合が起きたことなど一度もないのだが。
家についても落ち着かない。考えることが多すぎるのだろう。
故人のこと、死のこと、生きること、
これから迎えるたくさんの訃報。
今日遅れた分の仕事。
来月のカード引き落とし額。
いつか訪れる自分の死。
明日の通夜には、何時に向かえばいいだろう。
今朝見たばかりの、故人の姿を思い出す。
きれいに化粧をして、ピンクの着物を着ていた。
こんなに小さかったかな。