たくさんのビジネス書や自己啓発本を読み、
その言葉に感銘を受け、
そして、
すぐに忘れた。
そしてまた別の本を読むのだ。何も変わらないまま。
自己啓発本に書かれていることなんてどれも似たようなものだ。
目新しいことなどは書かれていない。
知っているかどうかではなく、やるかやらないか。
やる人は少ない。それが成功者たちだ。
行動することは、現状を変えること。
大変だし、リスクもある。
行動した結果、うまくいく保証はない。
行動しない者は、何もしないことで、夢を見続けていられる。
我々の半端な向上心めいたものは、おそらく周到にマーケティングされている。
最新のビジネス書はとても読みやすい。
そんなに努力とかする気はないけど、何かをがんばってみたい。変わりたい。
そういう需要にちょうどよくできているのだ。
切り口とパッケージを変えただけの新しい本が次々出版される。
本を買うことで、変化まで手に入れたような気持ちにさせる。
行動しない者たちの、なんとなくの願望を満たす。
これはそういう消費だ。うまいことできている。
一時的に気分は昂揚するが、翌日には忘れてしまう。
いつもと同じようにだらだら過ごし、再び本を開くことはない。
そしてまた、「変わりたい」と本など買ってみるのである。
現状を変えたいなら、読んで満足するのをやめることだ。
何もしなければ何も変わらない。
本を有益にするのは自身の行動だ。
何も行動していないから、似たような自己啓発本を読み続けている。
とは思うものの、やりたいことがない。わからない。
目的がないのだから、行動がないのは当然だ。
私が行動しないのは、「本気で変わりたいと思ってないから」だった。
変わりたいと思うのは、現在の自分と理想の自分との間にギャップがあるからだろう。
しかし理想の自分って何だ?
それすらも、常識、メディア、その他諸々の作り出した虚像ではないか?
やりたいことがないことに悩むのは、「やりたいことに向かって努力すべきだ」という刷り込みのせいなのかもしれない。
「やりたいことがない」なんて悩めるのは、「なんでもできる」時代だからだ。
だけど、「やりたいこと」には、何か高尚なものが求められているような気がする。
社会貢献とか、自己実現とか。宇宙の謎を解明するとか、海外に行ってボランティアするとか、自分のビジネスを立ち上げるとかいったような。
成功者になりたいわけじゃない。
何か大きなことを成し遂げたいわけじゃない。
それなのに、このままじゃダメなような気がしていた。
変わらなければいけないような気がしていた。
見事に煽られていたのだ。
高校時代、「明日世界が終わるとしたら、何をして過ごす?」という話題になったことがある。
私の回答は、「コーヒーを淹れて好きな音楽を聞く」だったが、これは全く支持を受けなかった。
やってみたかったことをやるとか、行ってみたかった場所に行くとか、美味しいものを食べるとか、何か「特別なことをする」という意見が多かった。
日常の行為を挙げたのは私だけだったのだ。
「やりたいことないの?」と聞かれた。
いや、それが「やりたいこと」なんだよ。
最後だからって、それは変わらない。
全財産使って豪遊するより、好きな音楽でも聞いて穏やかに過ごしたい。
「やりたいことがない」わけではなかった。
こんなにも明確だったのに、いつの間にか忘れてしまっていたのだ。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」
有名すぎるこの問いに、今なら何と答えよう。
好きなことは変わらない。旅行の計画が面倒なのは、実のところそんなに行きたいと思ってないからだ。
自分の欲求を素直に受け入れたら楽になる。
ずいぶんと無駄な努力や思い過ごしをしてきたが、「穏やかに過ごしたい」という欲求に自信を持とうと思う。
今が過ぎてしまってから、独身のうちに、時間のあるうちに、若いうちに、健康なうちに、戦争が起きないうちに、生きてるうちに、もっとゆっくりしておけばよかったなあ、と後悔しないように。