何もない部屋にもすべてがある。
どこへ行ってもすべてがある。
なぜならそこに私がいるから。
そういう感覚が理想だ。
「レスイズモア」とか「足るを知る」とかの言葉にも共感するが、私にはそれ以上にしっくりくる言葉がある。
私のものはすべて、体といっしょに持ち歩いている。
omnia mecum porto mea.
http://www.ki-dousen.net/docs/content/2864
「私は、自分の(mea)すべてのものを (omnia)、自分と共に (mecum)、運ぶ (porto)」というのが直訳です。
祖国が占領されて逃げる際、ギリシアの七賢人の一人ビアスは何も持たずに逃げました。その理由は、「自分のすべての財産」が自分の「知恵」であったからというものです。
http://www.kitashirakawa.jp/taro/?p=789
「何もない部屋にもすべてがある」というのは私の意訳だ。
私のものはすべて、体といっしょに持ち歩いている。
私のものはすべて私と共にあるから、何もない部屋にも、私のすべてのものがある。
私は、何かがあって逃げるときには、さすがに何も持たないというわけにはいかない。財布とスマホぐらいは持って逃げたいし、余裕があればパスポートも持ち出したい。
私はギリシャの賢人ではないし、何か特別な経験や知識を持っているわけでもない。
それでもこの言葉を知っていることで、家に置いてきたこまごまとしたものに未練を感じたりしないでいられるのではないかと思う。
考えること。感じること。ことば。生命。大切なものはちゃんと持っている。
最近では、誇れることだけでなく、寂しさや後悔もすべて財産だと感じている。
さらに意訳する。
「自分の財産はすべて自分と不可分のものとして共にある。」
Omnia mecum porto mea.
この言葉を知っていることはわたしの最大の知恵であり、財産だと思う。