minimalist's microcosm

ミニマリストの小宇宙

映画館の価値は「制限」にある

 

 

 

映画館というのは不思議な場所だ

 

娯楽施設でありながら

まるで何かの強制施設でもあるかのように

強い制限のある場所

 

声を発してはいけない

音を立ててはいけない

光を出してはいけない

席を立ってはいけない

 

別に罰則があるわけではないのだが

これが映画館のマナーだ

 

ただ黙って

与えられるままに映像作品を見る

 

スキップに慣れきった身にはあまりに長いCMのあと

この時間が2、3時間続く

こんな場所が他にあるだろうか

 

娯楽のために

2時間以上も

行動に制限を与える場所が

 

しかしそうでもしなければ

2時間の映画にすら集中できない


私が大人になったからなのか

何をするにもいちいち意味を求めて

こんなことは人生の無駄遣いではないのかと

たいした人生でもないのに

そんな疑問を持ったりしてしまうからなのか

 

それとも

単にスマホの存在が大きすぎるのか

 

とにかく

家では集中して映画を見ることが難しい

 

だから映画館は良い

映画館にいる間は

一切のことから離れて

ただただ映画に集中できる

 

こういう場所はとても貴重だ

 

仕事や学びに集中させようとする場所は多くあるが

娯楽に対して

ここまで強制力のある場所というのは他に思いつかない

 

 

映画館に

こちらの都合は通用しない

 

上映作品や上映時間を調べて

それに合わせてその場所へ向かう

 

こういう「準備」のような時間があることも

儀式的というか

 

なんとなくサーチして

パッと再生できてしまう映画と

 

映画館へ行くという

身体体験を伴う映画は

 

同じ映画を見るのでも

体験としてかなり異なると思う

 

選択肢が多すぎる現代

限られた場所

限られた時間

限られた作品から選択して

選んだひとつだけに

2時間没頭するという体験

 

広げる方向はもうお腹いっぱいで

なんでも見られるのに

なんにも見たくなくて

 

だからこれからは

パーソナライズとか

絞ったり選んだり

最適化することが価値になっていく

なんて言われたりしている

 

価値ある制限

意味ある制限が

これからの映画館の「価値」なのかもしれない