2015年7月 台北
台北はバイクが多く運転が粗い。建物の1階は近代的でも上の階は古いまま残っており、いたるところで八角の香りがする。しかし、異国ではなかった。
東京とソウルと台北はほとんど同じだ。もちろん全然違うしあくまでも私の印象の話だが。
グローバル化がもたらすものが均質化だとすれば異国はなくなってしまうのか? 世界中どこに行っても同じ、というのとは少し違う。どこも同じではなくて、むしろ、中心部の華やかさと路地の生活感、都市と地方、この構造が同じなのだと感じる。
大通りの既視感、路地裏の室外機。タクシーはトヨタのハイブリッド、ホテルの部屋にはソニーのTV。セブンイレブンではおでんやミスタードーナツを扱っており、会計時にはくじ引きまである。コンビニや一部のタクシーでは、電子マネーの利用が可能だ。
電車で九份へ向かう。
思い出したのは日本の有馬温泉だ。似てないんだけど、似ている。臭豆腐、八角、猪の肉、グアバ。日本とは違う独特の香りに満ちてはいるが、それでも異国感はうすい。土産屋ひしめく観光地。
悪評は聞いていたが、タクシーで台北まで戻る。(個人的には、そこまで悪くはないと思うのだが。乗車前に料金を提示されるのは多少割高でもかえって利用しやすい。)
すこし歩いて、小籠包を食べに行く。観光客はいなかった。店員の動きがいい。こういう店は気分がいい。
ここは日本だろうか。どこにいるんだかわからなくなる。
2日目、ホテルのバイキングを食べたあと、街に出て2度目の朝食。
このあともひたすら観光や食物や買物のために歩きまわる。わたしは何の主体性もなくついていくばかりである。
有名な夜市へ出かける。外は雨。
3日目、もうほとんど終わりかけの朝市へ。どこに行きたいか聞かれたのでガイドブックから探した場所だ。
チェックアウトまで時間があるので、ひとりで出かける。この時間がいちばん楽しかった。特に何をしたわけでもないのだが。観光地より、日常に近い場所が好きなのかもしれない。通りを歩いて、本屋を冷やかし、路地に入り、市場を抜け、目についたカフェに入る。メニューはすべて北京語だったが、アイスコーヒーと言えば十分だった。
私はずっと、「自分のペースで歩けないこと」に苛々していたのだと気づいた。寝る時間や起きる時間を自由にできないというのも不自然なことだ。時間いっぱい予定を入れて、楽しまなければいけないというのは苦しい。さして興味のない観光地を手当たり次第に訪れるのだから、疲れるのも当然だ。
私は昔から、旅というものが特に好きではなかった。と、思い込んでいた。ようやく気がついた。私がわずらわしく思っていたのは旅ではない。旅のあいだ、常に他人といっしょに過ごすということだったのだ。
旅はどうも苦手だと思っていたので、そういえばひとり旅というものをしたことがない。
このことに気がついただけでも有意義である。旅の効用というものは意外なかたちで訪れるのかもしれない。