シンプルだミニマムだと言いつつモノを捨てたり買い替えたりする暮らしを、もう何年も続けています。
使わないモノをいつまでも持ち続けるよりも、さっさと捨ててしまった方が暮らしは楽にシンプルになります。
ですが、そうやって捨ててきたモノたちは、その後どうなったのでしょうか。
私たちが「◯◯を捨てた」と言うとき、それは本当はどういう意味なのでしょうか? 「捨てた」ことで、ごみは私たちの視界から消え去ったかもしれない。でも、それですっかり忘れてしまっていいことにはなりません。だって、収集の人が持って行ってくれたからと言って、私たちのごみはただ蒸発してなくなってしまうわけではないのです。私たちのごみは、最後には最終処分場にたどり着き、商品を作るのに使われた貴重な資源は無駄になり、その処分に毎年何十億ドルもの費用がかかっています。
「ゼロ・ウェイスト・ホーム 」という本の一説です。
自分の暮らしのために、捨てるしかないものは捨てるべきです。
しかし、そもそもそれを手に入れなければ、捨てずに済んだのではないか。
「要らないものを捨ててスッキリ」という気分に水を差すようですが、
モノを捨てるということは、そのモノを作ったり輸送したりするために使われた資源やエネルギーを、無駄にするということです。
そしてその処分に、さらなる貴重なリソースを注ぐということです。
「ゼロ・ウェイスト・ホーム」の著者であるベア・ジョンソンは、4人家族ですがゴミをほとんど出さずに暮らしています。
すべてを真似することはできないし、わたしはまだまだゴミを出しています。
でも、本を読んだあとは、世界を見る目が変わりました。
自分の身の周りは、こんなにもゴミがあふれているのかと驚きました。
また、ごみ箱に入っているものは、そもそも自分が家の中に入れなければ良かったのだということもよく分かりました。
ゴミが「見える」ようになった
今は、ゴミに対してとても意識的になりました。
断捨離で捨てる不用品ではなく、完全な「ゴミ」についてです。
レシートや、食品のトレイや、シャンプーの詰替パックの容器や、ティッシュなどです。
たとえば本の中では、量り売りのシャンプーを買う、という方法が提案されています。
わたしはシャンプーの量り売りは見たことがありませんが、もし近くにあるのなら、ぜひ利用したいと思いました。
わたしは、シャンプーが欲しいのであって、容器は別に欲しくないのです。
だから詰替用を買っているのですが、その「詰替用の容器」すら無くせるかもしれないということは、これまで考えたこともありませんでした。
あらゆるものは容器に入って売られているから、それが当たり前だと思っていました。
今、シャンプーの売り場など見ると、ひとつひとつの商品に「ゴミがついてくる」のがよく分かります。すべての商品がこんな感じだから、ふつうに生活するだけで、すぐにゴミ箱がいっぱいになるわけです。
これまで見ていながら見えていなかったものが、見えるようになった感覚です。
ゼロ・ウェイストは「クール」
本を読んで意外だったのは、一家の暮らしが「とっても楽しそう」だということです。
「ごみを出さない」と聞いて想像されるようなストイックな暮らしではなく、自然体で、シンプルで、おしゃれです。
考えてみれば当然で、そもそも私たちの身の回りをごちゃごちゃさせているのは、食品や洗剤の派手なパッケージ、すぐに壊れる安物の便利グッズ、ダイレクトメール、大量のレジ袋、カラフルなタッパー、ペットボトル、もらいすぎた割り箸や醤油の小袋などです。
こういうものがすべて、ガラスのジャーや木のスプーン、お酢や重曹や量り売りの地元の食材に置き換わるところを想像してみてください。
使い捨てのプラスチックを排除し、繰り返し使えるものや環境負荷の少ないものを少量使う暮らしは、自然とシンプルで美しいものになる、ということは非常に納得できます。
環境破壊を悲観するような内容ではなく、
とても前向きで、「自分もやってみたい」と思えます。
ゴミ箱に入っていたもの
ジョンソン家の出すゴミは、1年でガラスのジャーひとつ分。
ほとんどの人は、1日でこれ以上のごみを出していると思います。
「生活すれば、ごみは出るもの」と思い込んで、疑うことすらありませんでした。
ごみ袋を見てみると、一番多く入っていたものは、「食品の包装」でした。
自分で買った加工食品やお菓子のパッケージだけでなく、頂きものの食品の包装紙や外箱などもたくさんありました。
きれいな包みはうれしいですが、プレゼント用の豪華な箱や包装の処分はなかなか大変なものです。
現状では、豪華なラッピングや丁寧な梱包は良いことであるとされています。
ですが、もしゴミを出すのにもっともっとお金がかかるとしたら、過剰な包装は相手にゴミ出しの金銭的負担を強いるからマナー違反、という社会になるかもしれません。
そして、実際ゴミの処分にはお金がかかっているのです。税金などで間接的に支払っているから、意識せずに済んでいるだけです。
お金がかかるだけならまだしも、資源を無駄遣いし、環境へも負荷をかけています。
過剰な包装は持続可能な社会に反するからやめるべき、という風潮が広がれば、簡易包装や包装なしでも礼を欠くことにはならない、むしろその方が良い、という社会になるかもしれません。
ゼロは難しいけれど・・・
基本的にはライフスタイルのような個人的なものを、人に勧めるつもりはありません。
ですがこの本は、たくさんの人に読んでほしいと思いました。
今の社会では、完全なゼロ・ウェイストはまだまだ困難です。しかし、ゼロ・ウェイストを目指して行動を起こすことはできます。
デモや社会運動をするというのではなく、要らないレジ袋や割り箸を断るというような小さなことでも、ひとつの行動です。
その行動が集まれば、やがて、「ひとりひとりがゴミを出さないように努力する」のではなく、「ふつうに暮らしていればそんなにゴミは出ない」社会に変えていくことができるかもしれません。
ダイレクトメールが届かなければ、それをごみ箱に入れる必要もないのです。
断捨離の先を考える
自分の部屋がきれいなら、どこかの島がごみだらけになっても良いのか。
自分の持ち物が少なくて快適なら、プラスチック製品をどんどん使い捨てても良いのか。
ある程度ものが少ない暮らしをできるようになったら、もう少し広い視野を持って、断捨離のその先を考えていけると良いと思います。