インターネットの時代になり、世界はずいぶん小さくなった。
そんなものはただの錯覚だ。
距離はずっと変わらない。
世界の大きさは変わらない。
GWは北海道へ行っていた。
北海道までは、文明の利器・飛行機にて、2時間かからずに行くことができる。
たったの2時間、と、感じるべきなのだろうと思う。
しかしわたしは遠いと感じる。
たった2時間で北海道へ行くことができるというこの速度も、あろうことか、「遅い」と感じているのである。
(小樽運河に時計台。あいにくの天候も、かえって味があって良いのだとか)
旅行に行くと、いつもその「距離」に圧倒される。
たったひとつの星の、たったひとつの国の、たったひとつのエリア。
それがこれほどまでにわたしの足を棒にし、途方に暮れさせる。
(ニッカウヰスキー余市蒸留所にて。下戸のわたしには縁遠い、大人の嗜み)
インターネット時代が錯覚させる距離感。
すぐそばに感じていた距離が、実はけっこう遠いという事実。
わたしは、目的地まで20分電車に乗るだけでも、「けっこう遠いな」と感じてしまう。
贅沢になりすぎたのだろうか?
自分の足では行けない場所までも、自分の行動範囲としたい。
徒歩の時代にはありえなかったことだ。
その先に何があるかすら、知る由もなかったのだから。
石垣島のコテージも、ススキノのジンギスカン屋も、神保町の古本屋も、全部自分の行動範囲。そう思うから、思いたいから、その間の移動にこれほど時間がかかるということに、納得ができないのだろう。
(小雨の降る寒空の下、2時間並んだジンギスカン。飛行機に乗っている時間より、店の前の数メートルの方が長かった)
質量をもつ我々が、光の速さに焦がれても詮無い。
だけど見ている景色は、光の速度、インターネット。
光を追って、自分の足で歩く。
追いつけるわけがない。
飛行機も新幹線も、光には追いつけない。
(千歳水族館のウーパールーパー)
仮想のコミュニティ「にほんブログ村」には、沖縄や北海道から参加している人もたくさんいて、だから錯覚してしまう。身近に感じてしまう。まるで近い距離に感じているのに、実際の沖縄や北海道は、やっぱり遠い。
旅行に行くと、そのことを思い知る。
距離を思い知る。
世界がどんなに身近になっても、早い移動手段ができても、実際の距離は、決して変わらない。
身近に思っているからこそ、かえってその距離が非情に感じられる。
テキストなら一瞬の距離も、実際に移動するとなると一瞬というわけにはいかない。
(サッポロビール工場の庭。工場見学は無料、ビール2種類のテイスティング付き)
旅行に行くと、これまでバーチャルだったものがリアルになる。
寒さも、距離も、すべてが本物になる。
(地元の人に教えてもらった寿司屋、ソフトクリーム、カニ。本当に美味しいものは写真には残らない)
北海道の無人駅、どこまでも続く線路。
電車を待つ間、慣れない酒の試飲で朦朧としながら、本物の距離にただただ圧倒される。
見えているのにたどり着けない、一歩ずつしか縮まらない距離。
旅行は、現実だ。
自分の足で歩くリアル。
(北海道はKitaca。ICカードが使えるのは札幌周辺のみで、使えないエリアの方が多い)
北海道は、広い。
馬鹿みたいな感想だが、そう思った。