minimalist's microcosm

ミニマリストの小宇宙

なぜ、大人になると小説が読めなくなるのか。

 

 

 

 

astudyinscarlet.hatenablog.com

 

 

先日観た

「花束みたいな恋をした」という映画の中で

 

社会に出て働き始めたら

昔は好きだった小説や映画から次第に離れていくという描写があった

 

「読んでも入ってこない」

「パズドラしかやる気にならない」

と言って

 

本屋でも手に取るのはビジネス書だ

 

 

忙しくて余裕がなくなって

「簡単に報酬が得られるもの」の代表みたいな存在であるスマホゲームでしか遊べなくなる

その感じがすごくリアルに描かれていた

 

 

最近私も感じていることだが

小説を読むのは気力や体力がいる

世界に入り込めないしなかなか読み進めることができない


私はゲームはしないが

ビジネス書や自己啓発本ばかり読むようになった

これらは読書の中では流動食みたいなものだ

 

どれも似たようなことが書いてあるので

簡単に読み飛ばせる

ほとんどの自己啓発本は

要約すればとてもよく似たものになるだろう

同じことについて

著者ごとの個性で膨らませて違う本にしている

 

 

小説や文学は読み飛ばせない

「純文学は1文字あたりの単価が高い」と言った人がいたが

文学の要約というのはほとんど不可能だ

男女が出会ってくっついて別れました、みたいなつまらないものになってしまう

それは単なるあらすじの要約でしかない

 

同じ「本」でも情報の価値がある場所が全く違う

 

ビジネス書は内容に価値があり

文学の場合は行間に価値がある

文学は安易な読み飛ばしを許さない

 

ビジネス書は

結論とか理由がはっきりしていて

大事なことはとてもわかりやすく書いてある

 

小説では

書いていないことを感じとらなければならない

 

さらにビジネス書は

明日役に立つ実践的なものだから

これを読んで何の役に立つのか、とかを考える必要がない


小説も役に立たないわけではないが

小説を読んで得られるものというのは

時間をかけてじっくりと醸成されていくものだ

明日すぐに役に立ったりはしない

だから忙しくて余裕がないと

小説なんて読むのは時間の無駄のように感じてしまうかもしれない

こんなことして何になる? という疑問は

作品への集中力をそぐには十分だ

 

 

 

最近読んだ本に

「遊び」は崇高である、

と書いてあった

 

「遊び」は「仕事」のように

成果や対価や意義を伴わない

 

「遊び」は

「楽しいということ以外に何も伴わない最も純粋な精神行為」であると

 

 

野球もギターも将棋もマリオカートも

なんでもそうだ

真剣にやって上達するから楽しい

 

 

なぜ大人になると小説が読めなくなるのか

作り物の小説を読むということは

意義を必要としない「遊び」であるからだ

 

サマセット・モームも

「作り物の話を読まねばならぬ義務などない」と言っている

 

目的意識を持って読書せよ、みたいなことがよく言われるが

それは結構のところ「お勉強」で

遊んでいることにはならない

 

私たちには

きっともっと「遊び」が必要で

 

そして遊びを真に楽しむためには

思っているよりもずっと

真剣に遊ぶ必要があるのかもしれない

 

 

 (遊びについての話はこの本から。)

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