minimalist's microcosm

ミニマリストの小宇宙

「スキル」の暴落

 

 

 

最近読んだ本に

とても大きな気づきをもらった

 

Kindle Unlimitedでなんとなく目についた

WEBコピーライターで月〇万円稼ぐ、みたいな本

 

ものすごく期待して読んだわけではないが

それでも 

ライターというのは

手作り作品の販売などの副業よりも

自分に向いているという思いがあったし

簡単にできるのならやってみてもいいなという下心も持っていた

 

ところが読んでみると

全くわくわくできない

 

好きなことを好きな場所でして

自分らしく自由に生きられる

という成功例の再現性が疑わしく

現実味が持てないからではない

 

もしそれが実現しても

自分が幸せだとは思えなかったからだ

 

おそらく私は「ライティングスキル」にあまり興味が持てない

これは自分にとって意外なことだった

 

さらによく考えてみると

そもそももう「スキル」というものに興味がないのかもしれない

そんな気さえしてくる

 

スキルを褒められてもたぶん嬉しいと思えないのだ

商品ごとの特徴がきちんとまとめられてわかりやすい文章ですね

と言われるより

自分が考えたこととかものの見方とかの独自性を褒められる方がよっぽど嬉しい

 

AとBとCの違いを説明して

Aがおすすめである根拠をそれらしく並べるより

 

じつは世の中にはAかBかCだけじゃなくてDもあるし、A+BとかB×Cっていう考え方もあるし、何も選ばないのもひとつの選択だし、これから全く新しいEを作ってもいいし、そもそもAが1番良いというのはこういう価値観の現れではないのか、というようなことを考える方が楽しい

 

これまでうまく認識できなかった領域を言語化して伝えられることはそれ自体が大きな喜びだし

それに対して誰かの共感の言葉が得られたりすることも

日常からは得られない種類の喜びをもたらしてくれる

 

文章のスキルではなく

伝えようとしている内容を重視したい

 

ライターの場合

中身は依頼されたものになるから

中身を褒められてもそれは自分とは全く関係がない

 

そうやって考えていくと

ライターの仕事が運良くうまくいったとしても

自分の望みは叶わないということに

思い至ってしまった

 

好きを仕事にと言われるが

私が好きなのは自分で考えること、自分の考えを書くことであって

誰かの思惑や希望条件を満たす文章を書いて納品することではない

 

それは仕事としては比較的楽しい部類に入るのかもしれないが

「好きを仕事に」という言葉から想像するほど魅力的なものではない

 

働きながら

さらにすきま時間に案件をこなして月数万円の副収入みたいなことは

自分の望む人生ではないし

 

不安定な本業にして

生活のためモノやサービスを売る文章を書くことに追われるのはもっと嫌だ

 

そもそもフリーランスというのは本当に自由なのだろうか

私など案件を受ける過程で発生するメールのやりとりを考えただけで憂鬱だ

 

誰かのセールスのための文章を書くスキルを磨くより

自分の考えを言語化して納得したい

 

スキルアップという名目を免罪符に

ライティングのバイトなどしている場合ではない

 

自分の好きなことを好きに書くといっても

それだってスキルは必要だろうが

一般的に言われるライティングスキルとは少し違うような気がする

 

セールスライティングはおそらくAIができるようになるだろう

タイプ別の購買層に向けて最適化した文章を提供できるようになるかもしれないし

ひとりひとりのために微調整してくる可能性だってある

 

それとは対照的に

ある人がどう感じどう思っているのかということを

AIが書くことはきっと難しい

 

そもそも感じるとか考えるといったことは

身体性を持たないAIにとってとても難しいのだ

 

これからのライティングは

スキルより

むしろこういう部分にこそ光明があるのではないだろうか