minimalist's microcosm

ミニマリストの小宇宙

「わかる」と「できる」? 身体と感情を伴う知識

 

 

 

 

最近読んだ本の中に

「わかる」というのは「できる」ということだという話がありました

 

わかっているけどできないこと、というのは

本当はわかっていない

というのです

 

(たぶんこの本だと思います)

才能の正体 (幻冬舎文庫)

才能の正体 (幻冬舎文庫)

  • 作者:坪田信貴
  • 発売日: 2020/06/11
  • メディア: Kindle版
 

 

 

知識として知っているのと自分で実感するのとは大きく違う、

ということを先日書きましたが

 

astudyinscarlet.hatenablog.com

 

 

 

「実感」というのは

分解すると実際に体感するということで

 

つまり体を使ってわかるということです

 

理解と身体の関係は

「腹落ち」や「腑に落ちる」という

表現があるように

私たちが使う言葉にも滲み出ています

 

 

AIに関する書籍には

AIにない人間の強みとして

身体性(Embodiment)というのがキーワードとして多く登場するのですが

 

身体性ってこういうことなのかも、と

その片鱗を掴んだ気がしました

 

 

ということは

この記事にあるような

私のブログを書くAIができたとしても

私と同じようには書けないということです

 

astudyinscarlet.hatenablog.com

 

 

 

私は本を読んだ数日後や数年後に

「これってこういうことかも?」

と思い至ることがありますが

AIだとおそらくそういうことは起きないです

 

私(人間)は

自分の体験をもとにして関連性を発見するからです

だからわかるまでに

数年単位のタイムラグがあることもあります

 

AIならデータから瞬時に関連性を発見するかもしれないけど

そこに驚きや感動はない

 

「知識でさえも感情を伴う」

というのはつまり

こういうことなのかもしれない

 

AIについての理解を深めてくれたのは

AIについての本ではない本でした

 

 

AIにはなくて人間にはあることのひとつに

「飽きる」ということがあります

 

飽きると他のことをしたくなります

 

それは一見欠点のようですが

いろいろな分野に触れるために

実はすごく大事なことなのかもしれません