最近読んだ本の中に
「わかる」というのは「できる」ということだという話がありました
わかっているけどできないこと、というのは
本当はわかっていない
というのです
(たぶんこの本だと思います)
知識として知っているのと自分で実感するのとは大きく違う、
ということを先日書きましたが
astudyinscarlet.hatenablog.com
「実感」というのは
分解すると実際に体感するということで
つまり体を使ってわかるということです
理解と身体の関係は
「腹落ち」や「腑に落ちる」という
表現があるように
私たちが使う言葉にも滲み出ています
AIに関する書籍には
AIにない人間の強みとして
身体性(Embodiment)というのがキーワードとして多く登場するのですが
身体性ってこういうことなのかも、と
その片鱗を掴んだ気がしました
ということは
この記事にあるような
私のブログを書くAIができたとしても
私と同じようには書けないということです
astudyinscarlet.hatenablog.com
私は本を読んだ数日後や数年後に
「これってこういうことかも?」
と思い至ることがありますが
AIだとおそらくそういうことは起きないです
私(人間)は
自分の体験をもとにして関連性を発見するからです
だからわかるまでに
数年単位のタイムラグがあることもあります
AIならデータから瞬時に関連性を発見するかもしれないけど
そこに驚きや感動はない
「知識でさえも感情を伴う」
というのはつまり
こういうことなのかもしれない
AIについての理解を深めてくれたのは
AIについての本ではない本でした
AIにはなくて人間にはあることのひとつに
「飽きる」ということがあります
飽きると他のことをしたくなります
それは一見欠点のようですが
いろいろな分野に触れるために
実はすごく大事なことなのかもしれません